2010年05月31日

Self defense

米軍基地がある県で生まれ育った。
子供の頃から、ジェット戦闘機が空を飛んでいた。普通の飛行機とはぜんぜん違う。あらゆる音を掻き消す強烈な爆音である。
母方の実家は爆音発信地である厚木基地の近く。私が中学生の時に通っていた英会話の先生は米軍住宅に住む軍人の妻だった。7月4日は米軍住宅で花火大会があり、子供の頃は実家のベランダから遠くにそれが見えた。
そういう環境で、そういうものだと思っていた。

もしも私が、神奈川にそのまま住んでいて、「神奈川にもうひとつ、米軍基地を作ります」といわれてそれが自宅のすぐ近くだったら、「NO」と言うだろう。
誰だってそんなもの、自分の生活環境にほしくない。
どこの国でも、軍基地を生活環境にほしい人はいない。

_______________


朝起きたら、何とも衝撃的な結末を迎えていた。
数日前から、サイプラスから「人道のための支援船」というトルコが主催で支援する船が、Gザに向かうことは報道されていた。
しかし、機械系統の故障だのなんだのということで出港見合わせ、出たと思ったら夜中だった、と。もうこの時点で十分如何わしい。
人道支援物資を積載しているという船が、何ゆえに夜中にGザに向かう必要があるのか。昼間に正々堂々と行けばいい。言われたら、中身を見せてやればいいはずだ。本当にそれらが、食糧や医療品といった人道支援物資で、彼らが人道支援の精神に則ったボランティア隊ならば。
イスラエル側は、イスラエルの港で積載品を降ろし、あとは陸路でGザに運ぶと再三要請したが、船はこれを拒否。何が何でも、自分達がGザに入る、と。

朝4時30分。まだ真っ暗な中。
イスラエル軍の部隊が、公海上を進む船にヘリから1人ずつ降りた。
船には約500人。イスラエル兵は15人(当初)。
イスラエル軍は、威嚇用のペイントボール銃を装備し(ここがかなり甘かったと思うが)、1人ずつ降りて行ったら、まさかの蜂起状態。
ここに降りていくの、ものすごい恐かったと思う。

新聞サイトより引用

支援船に乗った人道主義(のはず)の人達は戦闘態勢で、刃物・鉄パイプ・棍棒・催涙スプレー・火炎瓶のような物その他諸々の武器を周到に準備していた。

新聞サイトより引用。人道支援船が装備していた武器の数々

ヘリからロープで1人ずつ降りてくるイスラエル兵に集団で襲い掛かり、袋叩きのリンチ状態に。
鉄パイプで殴りつける。棍棒で滅多撃ちにする。ナイフで刺す。兵士の持つ装備を奪う。そして、船から突き落とす。
一対三くらいならば、相手が何を持っていようとイスラエル兵の方が圧倒的に強いはずだが、10人20人が一斉に襲撃したらどんなに鍛えていたとしても難しい。
最終的に、イスラエル軍司令部が自衛のための武器使用を認めたが、結果、イスラエル兵2名重篤状態、7名が重傷〜軽傷。
イスラエル兵を襲撃したテロリスト10人だか死んだみたいらしい。当初は相当サバを読んだ被害者数がトルコ側から報道されていました。
3遺体は身元不明だそうで、今日の夜のニュースでは、国際テロ組織の人間が混ざっているという情報が出ました。
彼ら自身が撮った船内の映像では、アラビア語の会話がかなり聞こえました。(トルコ人はトルコ語で、アラビア語が流暢に話せるのは...?)。


世界中がワーワー言っている。ま、何をしたってワーワー言うんですが。
北ッチョによる韓国攻撃は2週間以上経過してから国連で話題に上がったというのに、今回のこのオペレーションに対してはムチャクチャな速さで国連で話し合い。イスラエル非難。船に乗っていたテロリスト全員を即刻無条件で釈放せよ。救援物資を全てすみやかにGザに送れ...。
なお、今回これらの船に積載していた救援物資は、イスラエルから毎日Gザに送られている各種物資の1日分にも満たないという。
一体、何をどう支援するつもりだったのだろう???


さて、結果はこうだ。ならば、原因を考えよう。
もう一度書くが、イスラエルは、イスラエルに入港するように要請した。なぜイスラエルに入港させようとしたのかという理由は、書くまでもない。
聞き入れられなかったため、海軍の兵士が直接話し合うために船に乗り込み、船をイスラエルの港に入港させるというオペレーションを実行するつもりだった。
だが、ナイフや鉄パイプを手にしたテロリスト達は、有無を言わさず集団でイスラエル兵に襲い掛かった。
イスラエルは無線や拡声器などで再三呼びかけた。闇から一気に現われて船に乗り込んだのでもなければ、話し合いの口論の末に、乱闘を始まったのではない。

つまり、イスラエルの目的は、直談判・説得で船を誘導すること。
しかし、テロリストの目的は、イスラエル兵のリンチ殺傷だった。
イスラエル軍に殺意はなかったが、支援船は殺意で溢れていた。
その結果として、死傷者が出た。
イスラエル軍では、よほど強力な攻撃をしてくる相手でなければ「殺さない訓練」をしている。それは、中東のテロリスト達が一番よく知っているイスラエルの弱点でもあるのだ。それで死者が出たのは、そういうことだ。
ところが、物的証拠も双方による証人もフィルムも検分せずに、「判決。人が死んだから、殺した者が悪い。殺害者を非難する。以上」って、この地球上のイスラエルを除いた国は、犬将軍綱吉の片手落ち法を未だに適用しているのか? 


自衛というのはこういうことだ。
周囲に何を言われようと、守らなければならないものは守る。
それが自衛だ。
こんな作戦を実行するのは、世界を探してもイスラエル軍だけではないか。
アメリカ軍なら、大量の船とヘリを出して、船ごと拿捕するだろうか。必要とあらば、船に穴くらいは開けるかもしれないが。(もちろん今回のイスラエルもそうすればよかったのにという声は多い)。
ロシア・中国なら、船を木っ端みじんにして、何もなかったことにするだろう。

日本の自衛隊だったら? えーと、何か、出来る?
日頃何もしていないのだから、絶対に無理だ。練習が足りないという意味ではない。危機感がないのだ。戦闘状態になって逃げ出しかねない。本気の殺意に立ち向かえない。
だから、米軍に頼むんでしょ? 自分達の手を汚さないために。
手を汚さない理由は表向きは憲法9条ということにしておいて、要は万が一何かあった時、失敗しようが成功しようがガタガタ言われるのがイヤだから、大国の傭兵さんにやってもらおうって。それが日米条約ですよね?

面白い国民性です。
男女問わず、ボクシングだプロレスだ何だと、流血して倒れるまで殴りあう無意味なショーを見るのは大好きなくせに、ちょっとでも何かあると「日本は平和主義だ。日本人は平和が好きだ」と、上から目線でほざくのは、どう考えてもおかしいでしょう。
平和平和って、ショーならば殴り合って血が出るのを喜ぶくせに、実践で殴り合って倒すのはダメって、それが現代日本にとっての平和ですか?


沖縄の基地問題を巡っての、日本の報道番組の政治家の討論を動画で見たが、いやはや、小学生向けのトーク番組かと思った。
優秀な大学を出て、法律やら国際政治やらを勉強した御大層な方達のはずだけれど、それともあれはテレビ用で、バカな国民を欺くために、わざとああいうイノセントな人間を演じているのだろうか。

米軍基地が、「日本を守るよりもアジアや中東地域への足がかりとして使われている」ということに憤慨している議員もいた。
だったら、友愛精神だと言って、将来の日本の益になるはずもない海外在住の外国籍のガキにまで、多額の子ども手当をばら撒くのは、どういう行動なんだ?
友愛精神で海外に支援金をばら撒くのはいいことだが、日本の米軍基地は、日本の有事の時の傭兵基地なんだから、アメリカが他の国を支援する時も使うのは、話が違う。
ってこれじゃ本末転倒でしょう、どう考えても。


ここ1年半ほど、イスラエルがあれこれ言われることがなかった。
ここは中東だ。今日まで何もなかったなんてことはない。ただ、日本を含めた多くの国が、【とても分かりやすい事情】で、イスラエルを無視できない状況になったから、これまでのような一方的にイスラエルを悪者にでっち上げる表現の報道を控えていた。

ところが、世界情勢の地図の色がものすごいスピードで変わっている。
日本では、親日だのなんだのと「親切な優しいおじさん」みたいな立場に見られているトルコが、ここに来て急に完全に寝返った。
EUに入りたいがためにずっとイイヒトを演じて親米路線も貫いてきたが、EUの見通しが暗くなったために入る価値がないことが分かると、ものの見事なまでに完全に手の平を返した。
今では、イスラエルと国交を断絶しているイラシリレバとすっかり仲良し。
仲があまりよくないはずのギリシャにまで擦り寄り始めている。
そして、イラシリの影には、日本が警戒する北ッチョが関与している。
最近は、2016年に五輪を開催するブラジルが、イランに急接近。
その後ろにはロシアや中国といった、絶対にアンタッチャブルな国。

この状況で、日米条約を見直そうなんて言っている場合なのか?
アメリカ軍のベースは日本に置かないなんて言っている場合か?


米軍機の騒音下で28年住んだ神奈川県民として、はっきり書こう。

米軍の飛行場と、平和は、無関係だ。問題を摩り替えてはいけない。
基地がある県が、戦争状態や一触即発の危機にあるのだろうか?
米軍基地があろうとなかろうと、日本中、平和でしょう?
「軍イコール戦争イコール悪」っていう、イメージだけでしょう?

ただ、飛行場がないと、すごく静かなんだ。それだけだ。
だから生活環境に飛行場はほしくない。軍でも民間でも。そういうことだ。


国際情勢は、キレイ事では何も進められない。
自衛できない国が、誰と仲良くして、どこに行こうとしているのか?
自衛できないくせに、1人で生きていくつもりなのか?
ゴラン高原で何年も何年も国連施設の掃除をしている自衛隊に、その程度しか任せられない自衛隊に、何か出来ると思うのですか?


それからもうひとつ。
常日頃は、「偏向報道」「日本の報道は信用できない」「マスゴミ」「在日に犯されている」と、その偏向気質を指摘しているくせに、これが海外ニュースになると、報道されることをそっくりそのまま丸ごと信じちゃうのはどうしてでしょうね。

...その方が、よほど恐ろしいことなんですけど。
      
posted by Heshbonit at 23:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

リミット

昨日、買掛先から電話があった。
新しく取引する会社で、仕事の一通りのやりとりを終えたら彼女が言った。

「Heshbonitって、髪がすごい長い日本人よね? もしかして私のこと覚えてる? ウルパン(語学教室)で一緒だった、オルガよ」
「ウルパンのオルガ...? オルガ、少なくとも3人はいたよね?」
「ショッピングセンターのスーパーでレジしていた、太ったオルガよ」

思い出した。確かに太っている女性だった。ま、ロシア系で太っていない人を探す方が難しいが、若いからか彼女はコロコロして愛嬌がある感じだった。
私が通っていたウルパンは、キタ・ベィト(レベルU)とギメル(レベルV)で、既にキタ・アレフ(初級)を終えた人が通う教室。
移民者は、初級のアレフは移民特権で無料だが、ベィト以降は有料。
つまり、「もう少しやろう(+修了証書が出るから就職に役立つかも)」という人達が来る教室。(ちなみに私、ウルパン初級は諸事情で通ってません)。

ウルパンでは彼女と話をしたことは殆どなかったが、久しぶりに話をしたいと彼女が言うから、電話番号を教えたところ、今日の午後、掛かってきた。
彼女は、スーパーのレジの仕事を妊娠を期に辞め、その後に別の仕事をしながら簿記教室に通い、5年前に今の会社の経理の仕事を見つけたという。
「先月から地域センターの簿記1級に通い始めたんだけど、先生が『2年前に日本人の生徒がいた』って言ってたから、もしかしてHeshbonitじゃないかって思っていたんだ。やっぱりそうだったのね」

経緯やら近況やらあれやこれや話をした後、彼女が言った。
「ウルパンで先生が言っていたこと、本当だったと思わない?」
「え? 何を言ってた?」


「。。。移民のあなた達が優秀だったことは誰もが知っている。優秀なあなた達にジョブ(Job。スラングでバイトのような仕事を指す)が辛いのも分かる。けれども、今はとにかくやれることをやりなさい。お金を貯めなさい。勉強しなさい。
 厳しいことを言うけれど、イスラエルに移民して5年で自分の仕事を見つけられなかったら、10年経っても絶対に見つけられないわよ。出産や育児はイスラエルでは言い訳にならないのよ。
 今は、移民だロシア人だと言われるだろうけれど、移民から5年経てば誰も言わなくなる。その時に何の仕事をしているか。そのリミットは5年。
 移民から5年後にあなた達がやっている仕事は、ずっとそのまま定年まで続くことになる。それをよく覚えておきなさい」



村暮らしで日本人の私は、町で生活するロシア系移民の彼女達に比べたらラクな立場だったが、それでも初めから役場で経理をしていたわけではない。
女が到底やらないような肉体労働をし、爪を割り擦り傷を作り、もちろん楽しかったし、役場で働く上で知らなくてはならない村の仕組みを学べたと思っている。もしあの仕事をせずに役場に入っていたら、いろんなところで戸惑っていただろう。
しかし、なぜ海外に来てこんなことをしているのか?と毎日思っていた。

あの当時、ネットやその繋がりで知り合ったイスラエル在住の日本人の誰もが、私の田舎生活や肉体労働を軽蔑し、バカ扱いした。日本人の恥みたいなことを言われたこともあった。(本当に!)
テルアビブなどに住んでいれば、イスラエルに来てすぐにでも「日本人であることを生かせる仕事」を紹介してもらえるそうで、その手の仕事がいくらでもある、なのに日本人のくせになんでそんな仕事をしているのか?と言われた。
移住直後でヘブライ語もロクに出来ないのに得られる、「日本人であることを生かせる仕事」って、要は「日本人なら誰でもいい仕事」って市場価値でしょ? だとしたら怪しい会社もかなりあるでしょうね・・・。
私が簿記教室に通ったのはイスラエルに来て4年目だったか(もっと早くからしたかったが、ビザの問題や、開講が延期になったりしたため)。
そうやって振り返ったら、今の経理の仕事を得たのは5年経過した時。

「んー、そっか、私も5年だ」
「Heshbonitもそうなんだ。先生の言ったこと、その通りだったね」
「あのさぁ、あなたがいたスーパーのパン売り場にいる人ってさ...」
「あー、あの人ね、...名前が出てこないけど。そう、ずっとあそこよ。先生が言っていたように、ホント、10年以上経った今でもずっとあのまま」

【5年で見つからなければ、10年経っても見つからない】

言われてみれば、当たり前のようではある。
別に移民でなくても、例えば、学校を卒業して企業に就職しても、5年経ってもその仕事を“自分のモノ”に出来なかったら、もう見込みはない。
それこそ、就職が出来ないからとフリーターを5年したら、「そういう人」という扱いをされる。そのとおりです。
特にイスラエルの場合、年功序列というものはあまりない。
マネージャーが辞めたら既存のスタッフからマネージャーに昇格させるのではなく、マネージャー募集することの方が多い。ジョブをしていたらずっとジョブ。下っ端はいつまで経っても下っ端だ。
ウルパンの先生は15歳で欧州から移民してきた女性で、その厳しさを十分知っているからこその発言だったのだと思う。移民という選択をした以上、そのくらいの気概がなければ、という意味で先生は叱咤したのだろう。

村に住んでいるロシア系移民2人に、日本人の私がここで暮らしている経緯を聞かれた時、余計なお世話ながら、「勉強した方がいいよ」と言ったことがあったが、彼女達は「お金がないから」と言ってそのままでいる。
1人はずっとランドリーで洗濯物を畳んでいる。1人は村の宿泊施設のハウスキーパーや食堂の掃除をしている。村に初めて来た時と同じ仕事だ。
もちろん、それらの仕事が悪いとは言わない。人にはそれぞれいろいろな事情があるのだし、本人達がそれを選択し、それで満足しているのだったら。
だが、少なくとも、イスラエルで生まれ育った同世代に比べたら間違いなく優秀なはずのロシア系移民がその仕事は、あまりにももったいないと思ってしまう。

かくいう私も、安泰にはしていられないんだけどね。
なんか勉強しないと。
    
posted by Heshbonit at 17:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月29日

哀れな女−本当の「ギリシャ悲劇」

多くの国の言語で、「国」は女性名詞。
今日はひまつぶしに、こんな話でも。


名家に生まれた少女ギリシャ。
子供の頃からギリシャはとても可憐で、しなやかな思想を持ち、生き生きと暮らしていた。青い空と海に囲まれた穏やかな環境で育った美しい乙女は、思想哲学・医学・美術・建築・演劇・文学そしてスポーツに至るまで、世界の人々を魅了する術を着々と身につけていった。
将来は地上を制覇する女帝になると期待された。誰もがそう思った。

395年、20歳になったギリシャは、ビザンティン(東ローマ帝国)と結婚。
逞しく優しい夫は、賢くて美しいギリシャを愛で、彼女の持つあらゆる財産を積極的に理解した。その哲学と叡智と芸術の全てはビザンティンの持つ才能と融合そして昇華し、「ビザンティン文化」として世界に広まる。これが後々のルネサンスに大きく寄与することになる。
また、戒律の厳しいカソリックとは違って、イスラム社会を併合する正教徒であったから、経済活動なへどの締め付けもなく、商工業も活発であった。富と名誉を一気に得た彼女は、華やかな結婚生活を楽しんだ。

1453年、コンスタンチノープル陥落、ビザンティンがこの世を去る。
30歳の未亡人は、夫の宿敵オスマン(帝国)に娶られた。
思想も宗教も違う新しい夫オスマンは、前夫ビザンティンのようなスマートな文化人ではなかったが、非常に野心家で、かつ経済観念には長けていた。
運命とは面白いもので、オスマンはすぐに、美しき妻ギリシャの持つ資産を最大限に活用できる、とても有能でかつ信用できる経営集団を迎え入れることになる。

テッサロニキ(サロニカ)。
ビザンチン帝国時代の第二の都市、東西貿易の要港。
寛容なオスマンが、このギリシャの港町にイベリア半島から逃れてきたユダヤ人の受け入れを認めると、100年もしないうちにユダヤ人口が街の半数以上を占めるほどにまで膨れ上がった。
結果、ユダヤ人はテッサロニキを一大国際都市に発展させることになる。

海上運送最盛期の大航海時代。
喜望峰ルートが発見されても、地中海が重要航路であることは変わらない。
海運といえば、保険、手形割引決裁、そして倉庫・流通。
テッサロニキには、保険・銀行・通商などのユダヤ商人の店が軒を連ねた。
ここではロスチャイルド家のような一大ユダヤ富豪こそ輩出しなかったが、逆に返せばそれは、この街全体が団結・連携しており、互いを保護して利益を分かち合う組織が形成されていたことの証明といえる。

ところが。
40歳を超えたギリシャは、オスマンとの行く末が不安になった。今の夫には、ビザンティンとの壮絶な闘いの末にギリシャを奪った時の野心溢れる面影もない。
欧州は離婚ブーム。自由だ独立だという気運がみなぎっている。
私も離婚したい。零落した老オスマンとの生活に終止符を打ちたい。
泥沼の争いの後、ギリシャは晴れてオスマンと離婚。時は1832年。

脱線するが、その後のユダヤ人に関してざっと書いておく。
1914年、バルカン半島から勃発した第一次世界大戦の戦火で大損害を受けた上、押し寄せる反ユダヤ主義に耐え切れなくなった一部のユダヤ人はギリシャを去る。南北アメリカ大陸、あるいは、約束の地へ。そのままテッサロニキに残ったユダヤ人に壮絶な悲劇が待っていたことを説明する必要はないだろう。
余談だが、イスラエル四大銀行の一つ、バンク・ディスコント(Israel Discount Bank )は、テッサロニキ出身のユダヤ人によって1935年に創立された。社名の「Discount」は、お安くする方ではなく、手形割引がルーツであることは言うまでもない。

ではヒロイン、ギリシャがどうなったか。
第二次大戦中はナチスドイツによって支配され、終戦後は、ソ連のコミュニズムとアメリカのマーシャルという2人の男の板挟みで、心身ともに衰弱する。
結局、ソ連のコミュニズムが手を引いたが、戦争の傷跡と更年期障害で心身ともに疲れたギリシャは精神錯乱状態に陥り、ついには、右翼軍事政権という重篤なノイローゼに罹ってしまった。
ギリシャは泥まみれで地を這うような日々を送り続ける。アメリカはベトナムにぞっこん夢中で、ギリシャのことなど構うヒマもない。
これなら、ソ連の愛人になっていたほうがまだマシだったかもしれない...。

1973年、軍事政権崩壊。ノイローゼをようやく克服。
気が付けば、もう五十路。しかし、その姿は老婆のようである。
賢女だ美貌だと称えられ、地中海の妃として君臨した面影はない。
そんな零落した女が、三度目の結婚をする。
相手は実業家ユーロ。1981年、ギリシャは欧州共同体10番目の加盟国に。

「ギリシャ、お前を養うつもりは全くないからな」
3人目の夫は、自分に縋って生きる女を求めない。過去の夫のように彼女を愛するわけでもない。そして、彼女に利用出来るものがないことも分かっていた。
ユーロはただ、アメリカに勝ちたい一心だった。あるいは、欧州において名だたる歴史を持つ可哀想な寡婦を見捨てられなかったともいえよう。

過去2度の結婚で、財産と美貌を武器に権力を持つ男に養ってもらい、優秀な人間に経営を任せることで贅沢な生活をし続けた彼女が、あくせく慎ましく働いたり、自分で経営を考えることなんて今さら出来ない。
地理的条件を利用した海運と観光に頼る以外にこれといった産業のないギリシャの状況は、進歩も開発も発展もなく、時代の波に完全に乗り遅れた。
ソ連の愛人にならなかったからユーロと結婚できたというのに、実業家の夫という後ろ盾を得たことに安心したのか真面目に働きもせず、夫を連帯保証人にして片っ端から借金を始める始末だ。

ギリシャは自分の置かれた状況を理解できない。いや、したくなかった。
なぜなら彼女は、賞賛された少女時代や、過去二度の結婚で自分を認めた強い男の妃であり続けたという「栄光」を捨てることが出来ないからだ。
世界的にギリシャの姿といえば、天才的な少女時代と過去二度の結婚生活しか伝えられていない。今の彼女を知らない人は、「ギリシャってすごい国なんだね」と過去の栄光の部分だけを憧憬してしまう。そしてギリシャ自身も、そのイメージを切り売りしながら細々と生きている。

会計で言えば、「のれん」である。
二度の結婚(合併)で高く評価された、ギリシャの「のれん」。
減価償却できないこの無形固定資産は、窮地のギリシャに重くのしかかっている。だがそれと同時に、ギリシャも「のれん」に縋るしかない。彼女にとってそれは商売道具であり、華やかだった頃のプライドであり、愛してくれた男達との思い出なのだ。
価値の高い無形固定資産は、順調な経営下であってこそその価値を存分に発揮できるのであり、そうでなければいたずらにバランスシートを混乱させる。
かといって、「のれん」の減損処理の決断ほど辛いものはない。
どうすれば...。

昨年10月の政権交代で、ギリシャの粉飾決算が明るみに出た時、世界の誰もが、まさか一国が粉飾決算をするなんて、想像もしなかっただろう。
「え、ギリシャってそんなムチャクチャだったの?」と、世界史で出てくる才色兼備のギリシャしか知らない多くの人が、落ちぶれたその姿に驚いたに違いない。

もしもギリシャが、男に翻弄されることなく、あるいは、その男達を利用するほどにのし上がってでも生きていくだけの能力を身に着けていたら...。

いや、ギリシャには初めは天才的な才能があった。
一大文明を築き、あらゆる叡智を備えていた、あの少女時代。
世界はギリシャを求め、今なお、語り継がれているのだ。

しかし、次々と現れる男達がギリシャを愛すれば愛するほど、彼女は学ぶことを忘れ、その才能を伸ばすことなど考えなくなってしまったのだった。
    
posted by Heshbonit at 19:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

戦争と平和信仰

最近は、桃太郎もカチカチ山も「皆、仲良く暮らしました」で終わるらしい。
征伐はよくない。殺すことも悪いことだ。
皆で話し合って仲良くなるのが一番だからだと。

ええ、そうです。ご尤も。
だけれど、大事なことが抜けています。

相手が「こちらと同等な感覚」を持っていることが大前提です。

オバマ大統領が、ノーベル平和賞を受賞してしまった。
「任期が終わってから判断して下さい」とでも言えば、ちょっとはカッコがついたかもしれないが、もちろん大統領という職務上、周囲の人間とと話し合った結果だろうからどうしようもないだろうし、それが自分に相応しくないということは重々承知の上のようですけど。

...The concept of a "just war" emerged, suggesting that war is justified only when certain conditions were met: if it is waged as a last resort or in self-defense; if the force used is proportional; and if, whenever possible, civilians are spared from violence.

そりゃ、そうだろうね。
自衛のための戦争は存在する。
一般人に「正当防衛」という手段が許されているのと同じように。
戦争は存在する。全ての戦争が、全ての暴力が、悪ではない。

2006年夏、レバノン戦争は、奴らが仕掛けてきた戦争だった。
国境から10kmのギリギリエリアに住む私は、24時間1ヶ月間、いつロケット砲が落ちてくるか分からない危険に晒された。話し合うことが出来ればいいが、外に出ているのは洗脳された小者ばかりで、指揮官らは強硬な地下室に潜り込んでいる。
そして世界は、仕掛けてきた奴らを全面的に支持している。

どうすればいいんでしょうか。 
自分の家が燃やされるかもしれないのに、自分の命が危険に晒される状況なのに、自分の大切な人達が殺されるかもしれないのに、非暴力を唱え、両手を広げられるバカはいないでしょう。
もしそれが出来ると言うのであれば、よほど世の中を知らない馬鹿者か、自殺志願者であると私は考える。

時として、腕力が必要なことはある。
撃ち込んでくる相手に対して、撃ち返すしかないことがある。
そして、これ以上撃ちこませないために、こちらが入り込む必要もある。
それが、自衛のための戦争である。

オバマがスピーチしたことは、全てがご尤もだ。
だが、ノーベル平和賞を受賞する人が言うべきではないことだった。

医者が「死んでも仕方ない患者がいる」と言うのと同じようなもの。
絶対に助からないのが分かっている患者に時間を費やすよりも、成功率が高い患者から助ける方が大事だ、と。誰が聞いてもそうだと思う。やむを得ないと思う。むしろそれはイイコトと評価すべきだと思う。
でも、それを口に出したら、ワルモノになる。
弁護士が言う。「時と場合によっては法を犯すことは仕方ない」
会計士が言う。「正直に全てを申告することは必ずしも得策ではない」
教育者が言う。「他の生徒に悪影響を及ぼす生徒を排除することも必要だ」

ああ、その全ては御尤もだ。
だが、世の中はお綺麗に出来ているから、本当のことを言っちゃいけない。
そういうことを言うと、噛み付く人がたくさんいるんだ。
だからその辺は、ウヤムヤに穏便にフワっとさせておけばいいのだ。

盲目的に平和を信じている【平和信仰】の人達は、戦争が許せない。
やみくもに、「平和平和戦争反対」と唱えることが彼らの信条なのだ。
そうさえすれば世の中は平和であり続けると信じているから。
彼らだって、「仕方のない戦争がある」ことは分かるはずだろうが、そうすると自らが信奉する【平和信仰】の教えに反することになるため、耳を塞ぎ、目を閉じ、思考回路を停止させる。
そして、戦後教育で叩き込まれた呪文を一心不乱に唱える。

平和ガ一番正シイ。戦争ハ悪イコトダ。暴力デハ何モ解決デキナイ

戦場に行くこともなく、ロケット砲が飛んでくる土地に来ることも住むこともなく、何も起きない所で「平和平和」と呪文を唱えることは誰にでも出来る。
マリファナを吸いながらイマジンを歌うことは、誰にでも出来る。

世の中には、四方を敵国に囲まれた国がある。
フェンスの向こうから、いつ何が来るか分からない国がある。
銃を持った兵士が街を歩いていることに安心を感じる国がある。
日常生活においても銃を携帯することが当たり前の国がある。
そんな国に生まれたら、武器の使い方を学ばなければならない。
それを拒否するなんて軽々しく言えたものではない。

...Still, we are at war, and I'm responsible for the deployment of thousands of young Americans to battle in a distant land.
Some will kill, and some will be killed.


いつ何が自分の平穏な毎日を破壊するか分からない生活を送ったことがない者が、砲弾音やサイレンを24時間聞きながら生活したことがない者が、ライフルの重みを知らない者が、そしてそういった者達の苦悩を知らない者が、どうやって平和を訴えることが出来るのだろうか。

それでも、そんなに【平和信仰】が正しいと信じきるならば、自分の親や配偶者や子供が命の危険に晒されて、目の前で自分の女が複数の男にレイプされ、あるいは、自分の耳や鼻が削がれ目がくり抜かれても、どうぞ決して逆らわず戦わず、「平和平和暴力反対話し合おう分かり合おう」と唱え続け、天からの助けのみを祈りながら、その命を、平和信仰に屠るがいい。

私は平和信仰の信者じゃないから、何度でも言う。

世の中には、戦争が存在する。その存在理由は多様である。
戦争は必要である。止むを得ない戦争が、止むを得ない暴力がある。

世の中は、お綺麗じゃない。
                                   
posted by Heshbonit at 18:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月05日

制限空間に存る穏やかな波

日本に一時帰国していた時、
「ああどうしてこう日本人って優しいんだろう」としみじみ思った。

10年前、働いていた会社でのムチャクチャな状態に耐えに耐えまくって限界に達し、日本にいることがどうにもガマンならなくなって出た時には、それを何とも思わなかったのに。
麻痺すると人の優しさを何とも思わなくなり、反対にそれに飢えると、本当に取るに足りない下らないことでも、涙が出るほど嬉しく感じるんだろうか。

実際、人に嫌われることが多い仕事をしている。
生産しなければ営業しなければ人様に頭も下げず、それでお金の勘定ばかりし、「これが足りません」「なんですかこの請求書は」と追求するばかり。どこでも、経理なんて仕事は、嫌われるのだ。
その上、村の役場。大なり小なり極小なり、役場ってのは感謝されない。
そしてその上さらに、この11月から引き継いだ仕事は、本当に小さなミスが大事になり、いとも簡単に敵を作れる、とても特殊な業務。

職場以外で人と会話することもない。田舎過ぎて日本人がほとんどいないし、現地人との交流は自分から避けている。結果、10年住んでも、誰も知らない。
こんな性格ではなかった。人と話すのが大好きだった。だが、こうしてPCに向かって、ほとんど誰にも読まれないブログを書くことが日常と化してしまった。
孤独には馴れた。馴れるものではないのは分かっているが、受け入れるしかない。

数年前の「世にも奇妙な物語」に、「13番目の客」というドラマがあった。
不思議な床屋に入った主人公はその店から出られなくなる。床屋のスタッフは12人。主人公同様に客として来た人ばかりで、1人入ると1人抜けていく。
ドラマの主旨とは別だが、大杉漣が説明したセリフがとっても印象的だった。

新しい生活に入った時、人間が受ける経験の段階がある。
 ◆その1=始めは全てが新鮮で好奇心旺盛である。
 ◆その2=以前の環境との違いや上手く行かないことに不満が起きる
 ◆その3=自分の後から来た者へ知ったかぶりをする
 ◆その4=真に文化を理解し、本当の『住人』になる

ストーリーでは5ステージ目があり、それを明かさずに終わりましたが、いやいや、この4段階、ものすごく上手く言い当てているなと。

異国では、物珍しさでガイジンに優しくしてくれる。
そしてその優しさを、「この国の人は優しい」と勘違いしてしまう。
これは、イスラエルに限ったことではない。海外旅行に行って誰もが感じることだろう。「何て優しい人ばかりの国なんだろう!」と。

だが長く住むと、ガイジンがガイジンでなくなってくる。
いや、れっきとしたガイジンとして扱われるのだが、初めのガイジンではない。初めのガイジンは客だったが、もう客ではなく、住人なのだ。
もちろん住民とは言っても、生粋の国民とは違う扱いを受けるが、やはり、国籍でも民族でもない、人間性の問題が際立って出てくる。

もちろん分かっている。私の人間性には「重篤な欠陥」がある。
両親はきちんと育ててくれたが、その後の生き方で完全に捻くれた。
直そうと思ったこともあったが、ムリなので諦めている。
もうこうやって来たものを、今さら変わるものではない。

全ては自分が選んだことなのだからと思って生活していたが、日本で触れた多くの優しさは、自分の外見も言語も日本人だからこそ得られるものであった。

今の生活は、ドライでいい。
シガラミのようなものには触れない生活している。もっとも、役場で働いている以上は全てを避けて通れないが、面倒なところは、「ガイジンという印籠」を使ってシャットアウトしている。
それが上手くやっていく術なのだ。もちろんそれは、他方で受けられるかもしれない人との交流を断絶する諸刃の剣でもあるが。
もしも、同邦人が一人もいない国で人間関係を上手くやれる人がいるとしたら、人間的にパーフェクトな人か、あるいは、確固たる自分というものが完全にないか、そのどちらかだろう。


戻ってきて1ヶ月が経過し、忙しい中でいろんなことがあって、分かった。
「優しさ」というのは、与える側と受ける側の【波長】が合って、初めてそれが実行され、「優しい」と感じるものなのだ、と。

前述の「ガイジンだから受ける優しさ」は、実は取るに足らないものが多い。
だがガイジンは、「ガイジンの私にも優しくしてくれた=だから優しい国」と勘違いを起こす。実はそれはごく当たり前なことが多い。
たとえば、レディーファーストだったり、席を譲ってくれたり、その程度。

日本人である私が、この国の人に「日本人として」優しく出来るか?
ムリだ。
この国の人は、いやこれはイスラエルだけでなく、中東全域に言えることかもしれないが、優しくすると、付け上がるのだ。
なんたって、この世で起きる現象全ては「神が決めた定め」だと思っているだけに、人間がどれだけ優しくしても、それは「自分が受けるべき当然の報い」だと思い、人間に感謝をすることはない。(注:宗教心が薄い人はこの傾向が低い)。
こちらが相手のためにひとつ何かをすると、それが当然だと思い、次回は二つを要求、その次は四つ。それが当たり前なんだと思いこまれてしまう。

仕事もそう。
相手によかれと思ってやると、「あ、Heshbonitがそれやるのね。じゃ、次からそれでヨロシク」とロクに感謝もされず、仕事が増えるだけ。
「あの人がこうしてくれたから、私はこうしよう」「ならば私はこれをやろう。そうすればもっと上手く行くだろう」という助け合いの精神はほぼないと言っていい。幸いながら、私の職場の先輩部員はいろいろ気を回してやってくれるが、彼女のような人は本当に稀である。

日本で「日本人は優しい」としみじみ感じたのは、日常では忘れ去ったごくごく当たり前の日本人ならではの優しさを(...その一部は日本の常識と化しているものもある)、たった短期間に一気に受けたせいだ。

たとえば。
ある店から出ようとしたら、雨が降っていた。面倒だからそのまま行ってしまえと外に出ようとしたら、店の人がビニール傘を貸してくれた。
日本人がカサを貸すのは、それが「返ってくる」という相手への信頼があるからである。もちろん、安物ですから返してくださらなくていいですよ、と口では言う。これは、相手に「返さなければならない」というプレッシャーを与えないためと、万が一返ってこなかった時にガッカリしないためでもある。
傘を借りた側は、それが廉価な物であろうがなんだろうが、「せっかく貸してくれた相手の期待を裏切りたくない」と相手を思い、且つ、「返さなかったことに罪悪感を感じたくない」という己が信用のために、「ありがとうございました」と綺麗に折りたたんで返す。

これが中東なら? 
100パーセント、傘は返ってこない。
それどころか、「あの店に雨の日に行くと、傘をタダでくれる」となる。
貸す側も、それを察して貸さないのだ。

いうなれば、日本も中東もそれぞれの間では波長が合っている。
波長が合わないと優しさを感じることが出来ず、当然ながら、誰もそれを与えようとはしない。
中東の人間が冷たいわけではない。ただ波長が合わないから、「これが日本人ならこうしてくれるのに」と思ったり、相手がしたことを優しさとは感じなかったりする。それだけのことなのだ。

これは、日本人同士でも言えるだろう。
地方出身者が都会に来ると、「誰も相手にしてくれない・冷たい」と嘆く。
都会育ちが田舎に行くと、「プライベートに入り込みすぎ!」と辟易する。
都心部には、「見てみぬフリが優しさ」という流儀がある。
対し、田舎では「根掘り葉掘り聞くことが優しさ」。見事に真逆なのだ。
「XX県の人は冷たい」なんていうのも、波長の問題だろう。
XX県民が冷たいわけではない。自分が波長が合わない場所いるせいだ。

「優しさ」とは、「相手を思いやる心」だけではない。
受け手が、その相手の思いを汲むことで初めて「優しさ」となる。
だから、その相手が要求していることが理解できなかったり、自分と合わない場合は、どうしようにも相手を思うことは出来ない。勝手な思い込みで下手な動きをすると、大きなお世話になり、図々しさになり、単なる勇み足で終わる。

負の感情は伝染性が強く世界共通であるが、優しさは地域性が強い。
負を正常値にするためには優しさが必須なのだが、きわめて地域的な波長であるがため、孤立した場所においてはなかなかない合わせるのが難しい。

結果、それに馴れるか、妥協するしかない。
かくして、孤立に理由をつけ、自分を納得させて、騙し騙し生きている。
           
posted by Heshbonit at 16:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

殺すよりも残酷なこと



思い出の給食って言ったら、クジラのケチャップ和えじゃん。
質問した年代が若すぎるのか、クジラって書くとうるさい国が多いからか。

一時帰国する少し前のことですが、非常に面倒な人に絡まれて、クジラ漁に関してギャーギャー言われた。
日本人、と聞くとクジラ・イルカ漁に関して文句を言いたいらしい。

しかしながら、言い方があまりにも黄色人種蔑視。
「日本人は背が低いから大きなものを食べれば大きくなれると思っている」とまで言い、私を目の前にして、目を横に引っ張るジェスチャーまでした。
ついでに、アジア諸国の食生活にまであれこれイチャモンをつけ始めた。それも完全な差別的見解で。
こうなったら、私も黙ってはいられない。

「私、ビーガン(完全菜食主義)だから、動物性食品は一切摂らないの」
(注:イスラエルに来てからはタンパク質不足に悩み、ごくたまに魚を食べるけど、ここではそのことは割愛しました)。

Heshbonit、ベジタリアンのオバサンに、徹底反撃開始。

:「あなた、ベジタリアンって言ったよね。牛乳は飲むんでしょ? 残酷だよね? あれこそ動物愛護団体が真剣に考えるべきだと思わない?」
:「牛を殺していないんだから、問題ないじゃないの」
:「あー、殺してないからねー。メスの牛を強姦して妊娠させて搾乳して、産んだら2ヶ月もしないうちに人工的に強姦して妊娠させて、妊娠期間も搾乳して。
 乳牛は、牛乳を製造するための過酷な拷問を受けるから、普通の牛の半分の寿命しか生きられず、産めなくなったら食用に回されるんですよ。これって人間が牛乳を飲むために寿命半分にして殺しているってことじゃない? 特に、あなた達ベジタリアン、乳製品の摂取量がすごいですからね。
 大体、自分の体に置き換えてどう思う? 私がメスの牛だったら、『もう産みたくありません。いっそのこと殺してください』って懇願するな。殺されるクジラのほうが幸せじゃない? レイプ強制妊娠強制搾乳って、強烈な拷問じゃん。
 どう思う? あなたやあなたの娘が強姦されて妊娠させられて搾乳されて出産させられて毎日強引に胸を搾られて、また妊娠させられて搾乳...」
:「その言い方、やめなさいよ。牛と人間は違うのよ」
:「うわ、差別主義者! 人間はレイプしちゃいけないけれど、牛だったら人工的レイプして妊娠出産させられて...」
:「もういい。もういい」
:「あなたが話を始めたんだから最後まで逃げないで聞けって。
 それともあなたの理論では、ベジタリアン世界では、殺さなければレイプは合法なの? あなたの娘がレイプされて妊娠させらても強引に乳搾りされて、それが元で寿命が縮まっても、直接殺されていないから何とも思わないよね...?」


私はアレルギー体質と自分の趣向の結果で肉卵乳製品を食べないだけだ。
他人が何を食べようが知ったこっちゃない。
もちろん、誰が牛乳を飲もうが卵を食べようが一切関係がない。
どの動物がどの国でどう食用になっていようとも何とも思わない。

動物愛護精神でストリクトビーガンを遂行している人や、宗教的観念で動物殺害禁止を訴えている人や、あるいはもしや、【クジライルカ教】の信徒で、クジラとイルカを神として崇めているのであれば、「我々の神を殺すな」と声を大にして叫ぶ権利があるかもしれない。
(注:ビーガンや生類憐愍令主義は鯨だけに留まらないが...)
しかし、全く普通の人間が、なぜ、クジラ漁・イルカ漁だけを問題視するのか、さっぱり理解できない。


殺し方が残酷だのなんだの、下らないとしかいいようがないでしょう。
虫を踏み潰したり叩き潰したり殺虫剤を噴霧する時、踏み潰された虫がどれだけ体液を流したか頭や足がもげた時はどうだったか?殺虫剤が体に回ってもがき苦しんだか?...なんて考える人は、いないでしょう。
クジラ・イルカ漁では、大量に血が流れるから、大量の人間で漁をするから、それが痛くて残酷そうに感じるだけでしょ? 
だったら、ベジタリアンが日常的にたんぱく質摂取目的で飲食している残酷な方法で採取した牛乳は? 残酷な鶏卵は? そして強引に出産を強要されたために寿命が縮まって「廃用牛」となり、不味い肉として加工に回されるのは、残酷ではないのですか?


私はただ、自分がやっていることこそが正しいと思い込み、自分のことを棚に上げて、他人の国の文化を侮蔑したり差別することが許せない。

世の中には殺すよりも残酷なことがたくさんある。

そしてその加害者の大半が、呆れるばかりに自分の残忍さに無知である。


注:書こうかどうか迷いましたが、休暇で書かなかったうちに誰も来なくなり、ここ最近では1日の訪問者が3人程度なので(苦笑)、今後は誰の目も耳も気にせず、書きたい時に書きたいことを書きたいように書く方針にしました。
  
posted by Heshbonit at 22:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

Non Black

髪が茶色いと痴漢に遭いにくいらしい。

痴漢に狙われないためには「髪を染めるといいらしい」ーー。そんな情報がネットを駆け巡り、話題になっている。痴漢被害を受けやすい女性は、見た目がおとなしく抵抗しそうにないタイプ、と昔からよく言われるが、髪を染めることによって活発な感じに「変身」、それが抑止力を発揮する、ということらしい。はたして効果のほどは。JCASTニュース

混雑度数百パーセントの小田Q線に学生時代からイ国に来るまで乗り続けたけれど、一度も遭ったことがなかったのは、髪が茶色いせいだったんだ。

...な、わけないじゃん。
髪が何色だろうが、ブスに触ろうって人はいないのよ。

とはいっても、私はそんなに酷い茶髪じゃない。学生の時だって私よりももっと茶色い髪の人はたくさんいた。しかしなぜかやたらと言われ続けた。
理由は分かっている。ブサイク顔と髪の毛が、全く合わないから。
色白で目パッチリでこの髪だったら誰も何も言わなかっただろう。
これは日本人が、髪を茶色に染めた東南アジア人を見た時に抱く感情と同じようなものだろう。「その顔でわざわざ髪染めて、日本人のまねでもしてんの...」と。

黒髪の人が髪を茶色く染めることや、ツヤのないバサバサゴワゴワのアクリル毛糸みたいな髪の人が、ストパや縮毛矯正することには何も言わない。
しかし、「ストパでも染めでもなくて、この色も髪質も生まれつきなんです」というと、それはそれは恐ろしい勢いの個人攻撃が始まる。
生まれつきなわけがない。日本人は黒髪なんだ。じゃ、どうしてお前の髪は根元が黒いんだ? 明らかに染めたからだろう。第一、そんな直毛も不自然だ。
「髪にどれだけ投資しているのか?」と、バカ扱い。
就職の面接で髪を理由に断られ、「染め直して来い」とも言われた。
しょうがない。いかにも頭の悪そうな髪だ。自分で見ても...。

ま、今の日本ならこの程度の色は茶色い扱いされないし、第一、髪を染めるのは普通だ。しかし、少なくとも10年前までは、そういう目で見られていた。
でも今の日本でもたぶん、「これは生まれつき」と言ったら、個人攻撃が始まるだろう。「そんなわけがない」と。





今さらでしょ。
あれだけ叩きに叩いて、他界してから、「病気で白かったんだ」って。

なんで皆、人の色がそんなに気になるんだろう。
                 
posted by Heshbonit at 17:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

何様のつもり...

嬉しいことと、嬉しくないことがありました。
美味しい物は最後に食べる派なので、嬉しいことは明日の記事にするとして、今日は嬉しくない話題を先にします。

とある方からメールが来ました。
あ、例の在エルサレムストーカーではない、ぜんぜん知らない人。
もちろんストーカー女史も、全く知らないし知りたくもない人ですが。

「あなたはネガティブなことを書きすぎる」とダメ出しされた。
もっと前向きに、とかなんとか。そうしないと運が逃げる、と。

どうやら昨日、「私はブサイクなアジア人だから、海外では観光地以外の飲食店には入らない」と書いたことが相当シャクに触ったらしい。
今日は、「あー、コメント欄を削除してよかった」と心から思った。

真っ当なことを書いたんですが、何がどうシャクに触るのか分からない。
それとも、金さえ出せば、どんな顔のどんな身なりのどんな人間でも、どこでも入って好き放題振舞っていい、とでも思っているのだろうか。


実は、私が海外添乗をやめた理由のひとつがこれでした。

日本人は急に金持ちになり、世界中に散らばるようになった。
しかし、ほぼ単一民族で全国民平均値が中流階級以上である上、世界的経済大国に成り上がった日本人は、国の力でかなりの国にビザなし渡航できるという利点から「われわれは名誉白人なんだ」と思い込み、どこでも好き放題に振舞っている。これは紛れもない事実です。

パックツアーでは、ツアー専用のレストランという処を使います。
しかし、ツアー内の自由行動の時間などに、「現地の人が食べるような店で食べたい」と、ムリヤリ現地人向けの店に入りたがる日本人は非常に多い。これはツアーに限らず、個人客なんてもっとそうですが。
アメリカやオーストラリアのようにアジア系国民が多い国ならそれもいいのですが(...尤もそれも街によりますが)、アジア系に慣れていない国や格式を重んじる国においては、旅行者だか不法就労者だか分からないアジア人が入り込んでくることは、店にとってマイナスになるのです。

「予約でいっぱいだから」とやんわり断る店もあるが、アカラサマに「お前らはダメだ」と言えない店もある。下手すると差別で訴えられる可能性もあるから。
仕方ないから、一番奥の目立たない席に案内する。言葉も通じなさそうだし、第一、歓迎していないのだから他の客に対するような接客はしない。下手に歓迎したらアジア人の常連店になってしまう。

すると、自称名誉白人・人類皆平等を信じきっている日本人は、
「こっちは客で、お金を払って料理を注文したのに、接客が悪かった。前に行ったアメリカではこんなことはなかったのに。XX国はイヤな国だ」
と、自分のことをすっかり棚に上げ、その国を悪く言う。
面倒だから放ったらかしておきたいのですが、「午後は自由行動」「夕食は自由食」なんていう日は、添乗員はこういうお客様に同行しなくちゃいけないことが多い。

欧州添乗に行った時、先輩添乗員に誘われ、現地レストランに行った。
彼女は、現地ガイドに誘われてそのレストランに来たことがあるそうで、私が教えてあげると先輩ヅラ満々だった。なんかイヤな予感はした。
店の態度は、悪かった。非常に悪かった。
先輩は、店の態度に憤慨していた。「味はいいけど、態度がね」と。
しかし店が悪いのではない。悪いのは私たちだ。
そのために観光客用レストランがあるというのに、年に何十回も海外に飛ぶベテラン添乗員がこれですからね、たまにしか海外に出ない日本人を責められません。

近年、急速な経済成長で、中国人の富裕層が海外旅行に出ているという。
あちこちで見る中国人の集団を、「あの中国人も、海外旅行に出られるようになったんだね」と、ちょっと見下し気分を感じている日本人も多いだろう。
残念ながら、外国人から見たら、名誉白人たる日本人も同類だ。
さらに残念ながら、日本人はこの辺の感覚が分からない。
たぶん世界的に見ても、日本人が一番勘違いしているんじゃないかと思う。

日本国内では、「この銭湯は日本人専用です」と表現したりするのに、自分達が外国に行くと、「私は客だ・自国民と同じように対等に扱え」と主張する。
カネさえ出せばいいってもんじゃない。一国総成り上がりの日本人にはそのヘンが分からないのかと、添乗に行くたびにイヤな気持ちになった。
そういういろんなことにぶつかるたびに、「海外添乗は自分には向いていない」という結論に達して、国内専門添乗に戻ったのでありました。


さて。
現代のイスラエルには歴史も格式もない。
だが、「アジア系≒外国人労働者」というのが通念常識である。
観光地を除いた多くの街で、「チャイナ、タイ、フィリピン」と囃し立てられイヤな思いをしている日本人は多い。一度も言われたことがないとしたら、観光地在住かよほど西洋顔か、イスラエル人の夫と一緒でないと家から一歩も出ないか、常に耳栓かイヤフォンをしているか、のいずれかだ。

そんなイスラエルの普通の街のレストランに、アジア系の外国人労働者とおぼしき人間が入ってきたら、食べている客はどう思うか。経営者側はどう思うか。
渋谷の明るいオープンカフェに、作業着や近所のスーパーで買った服を着たオッサン・オバサンがデーンと座っていることを想像してほしい。
それこそちゃんとした服装をしていても、イスラエルでアジア顔はどうしようもなく、「アジア系の売春婦の客待ちか?」と思われて不快なことを言われても、相手を名誉毀損で訴えるだけの説得力はない。
これがイスラエル人男性と一緒ならもっと簡単で、「アジア系外国人労働者がイスラエル人のパトロンと食事中」。
仕方ないだろう。イスラエルには、正規の在住権を持ったアジア人より、アジア系外国人労働者(合法・不法とも)がその何百倍もいるんだから。

もう一度聞こう。
金さえ出せば、どんな顔のどんな身なりのどんな人間でも、どこでも入って客としてまかり通るのだろうか? 見ようによってはそれは「営業妨害」ではないのか? 

誰から見ても素晴らしい容姿風貌品格を持ち合わせている自信に満ち溢れた日本人は、どの国のどんなレストランでも、どんどん入って下さい。
それとも、外見は人並みかそれ以下だけれど、「カネさえ出せばお客は神様だ」と言い切る強靭な性格ならば、一番いい席にドーンと座ってやったらいい。それで何か言われようものならば、対等に主張すればいい。


それから何度も書いてきましたが、読みたくないなら読まないで下さい。
これは恐怖新聞ではないから、誰もあなたに読めとは無理強いしていません。
今すぐ「お気に入り」から消去し、履歴もクリアにして、Heshbonitなる在イスラエルの者がブログをやっていることを、自分のPCからも頭の中からも完全に消し去って下さい。

誰かと会った時、「私はブスだから・バカだから」なんて言いませんよ。言わなくても一目見れば分かりますからね。第一、「そんなことないわよ〜」って見え透いたお世辞が欲しくて書いてるわけじゃない。
自分のブログに自分のことを書いて、それを見ず知らずの他人に「そういうネガティブなことは書くな。前向きになれ!」って指図されたり、他人に元気を無理強いされる筋合いはない。
一体、何様なわけ?

「いつも元気。毎日ポジティブ、ハイテンション!」って人、危険ですよ。
髪の毛から何か検出されるかもしれません。
           

じゃ、明日は嬉しい話。
  
posted by Heshbonit at 22:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

西欧と中東のギャップ

 イスラエル中部テルアビブで1日深夜、同性愛者の会合が開かれていた建物に男が乱入して銃を乱射、会合の参加者2人が死亡、約10人が負傷した。男は逃走し、警察が行方を追っている。
 建物には、同性愛者支援団体の事務所があり、この日は、地下の部屋で10代の同性愛者を支援するための会合が開かれていた。
(2009年8月2日20時37分 読売新聞)



イスラエルの税法や社会保険法などでは、同性愛者でも一般的な夫婦並みの権利を認められている面が多くあります。テルアビブには、健康保険組合による同性愛者専門の病院もありますし。
そういったことから考えたら日本よりもよほどリベラルですが、元来ある宗教や固定観念からしたら、ここは中東ですから、受け入れられるわけがありません。

特に、ここ近年のバカ騒ぎ的なゲイパレードなどは、宗教者を必要以上に刺激し、大きな亀裂の元凶になっています。
「聖地エルサレムでゲイパレードを認めるなら、われわれはアラブ系の村で宗教パレードをする」と、厳格な宗教者がアラブ系の村に向かうというトラブルも何度かありました。
以前も書きましたが、この国が同性愛を認めるならば、過越し祭に粉モノやイーストを売ることや、エビやタコや豚肉を普通のスーパーで取り扱うことや、土曜日や贖罪日にも全店営業することも認めるべきなんじゃないでしょうか。

イスラエルに限ったことじゃないけれど、ああいうバカ騒ぎパレードは、同性愛の人達よりも、全く無関係なヒマな人達の参加の方が圧倒的に多く、それが拍車をかけている状態です。
単に、リオのカーニバルゴッコのつもりで仮装大会を楽しんでるだけ。
10年以上前に、インド系ヒッピーみたいのが大流行したのと同類。
仕事してないし、学校行ってないし、ヒマだから何かしたい、みたいな。

ただ単に、国や政府や社会に対して文句があって大騒ぎしたいだけ。
それがインド系ヒッピーだったり、ゲイだったり、その時のトレンドで騒げるチャンスを利用している。流行に乗って遊んでいる者にとっては、一過性のブームだ。
あと数年したら、「ゲイパレード? へ〜、懐かしいなぁ、いまだにそんなのやってるんだ〜」と今回参加した誰もが醒めた目で見るだろう。

しかし、利用された張本人の方たちは、溜まったもんじゃないはず。
同性愛であることを隠して静かに生活している人もいるだろうし、親兄弟に告白することが出来ず、悩みを抱えている人達もいる。
今回事件に遭ったのは、そういった悩みを抱える10代の同性愛者の相談支援会だったそうで、被害者の一人はそういった人達の相談役だったのですから、バカ騒ぎのとばっちりとも言えるのではないでしょうか。
   
ま、今回の銃撃事件に関しては、2人殺されて犯人が逃走中というだけに、そちらを問題視するしかありませんけれど。
ここぞとばかりに、政治家や有名タレントが事件のあった場所を訪れる姿もなんだか空々しくてなりません。

しかし、事件発生当初は「同性愛者を認めない宗教者じゃないか?」なんていう勝手な憶測が飛んでいましたが、犯人が全く見つからないために、「おそらく同性愛者の中でのトラブルによるものではないのか?」「実はあなた達は犯人に心当たりがあるのではないのか?」と警察は見方を変えているようです。

第一に、諜報組織が発達しているイスラエルという国で、ここまで犯人をひた隠しには出来るものではない、ということ。
そして、今回事件があった同性愛者の寄合所は、関係者のみしか知らないような場所であり、もしこれが同性愛者に対する無差別攻撃だとしたら、同性愛者御用達の有名パブを狙う方が自然だからだとか。

ま、何にせよ、人が殺されたということだけは確かですが。

中東と西欧のギャップ、ただバカ騒ぎしたいという物見遊山な人達と静かに過ごしたい当事者達との、埋めようがないギャップ。
世の中に存在するあらゆるギャップから起こりえる事件では、常に、「え、なんでこの人が?」というような人に被害が及ぶものです。
                        
posted by Heshbonit at 22:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月03日

派遣切り・・・甘えるのもいい加減に

たった今、Veohで、NHKスペシャルの派遣切りの話題を見ました。
姫が「NHK見てるけど・・・」って書いていたけど、このことだったのね。
先日記事を書いた時、私自身も日本では正規雇用でない状態で働いてきたので、「大変だなぁ」くらいにしか思わなかったんですけど、今回巷で言っている派遣切りがぜんぜん違うってことが分かったので、先日の記事の内容を撤回したいほどです。

派遣で働く側が、派遣を理解していないわけですよね、つまりは。

別に自分をどうこう言うわけじゃないけど、日本にいた時の私は、自分の資格や経歴を買ってもらおうと派遣をしてきました。
前にも書きましたが、日商簿記1級持っていて会計事務所勤務歴があって決算&別表が分かって仕事上の英語が困らない程度にできても、「大卒ではないから」と、履歴書の学歴欄だけで書類落ちする事実がある。
まぁ、学歴は仕方ない。日本は資格よりも学歴重視。18歳の冬にどれだけ入試のための勉強が出来たかで人間を判断する国。それを承知で大学に行かなかったのは自己責任。

でもね、信じられないだろうけど、世の中には「髪が茶色い」だの「顔がブサイク」だのって、面接で面と向かってケチつける会社が少なからずあるのです。
履歴書に写真添付してんだから書類で落としてくれりゃ交通費ムダにならなかったのにさ。わざわざ呼びつけて「ブサイクだな」って、そりゃなんだよ。
言っとくけど、モデルでもフロアレディでもないよ。普通の会社の内勤でね。
それならば、私の資格と経歴を認めてくれる所で働きたいと、派遣社員という手段をとりました(・・・ゆくゆくはどこかで正社員になろうと思いつつですけど)。

そりゃ、「バイトより時給がいいから〜」っていう、ワードもロクに使えないボンヤリ派遣もいます。そういう派遣と一緒にはされたくないけど、しょうがない。
国立大でも私立底辺大学でも、肩書きだけは「大卒」ってのと同じ。
そんなボンヤリちゃんも「可愛い顔を武器」にしているのでしょう。事実、「男性社員のヤル気を湧かすために、可愛くて若いフロアコンパニオン系派遣がほしい」っていう会社もあります。

では、本題に入ります。

派遣っていうのは自営業なんですよ。
社長であり社員である自分が、自分の特色を売るのが派遣です。

「わが社の製品を買ってください」と卸売問屋を通して売るようなもの。
自分で起業して製品を製造していたらある日、「貴社の製品はもういらない」といわれた。それに対して、「うちの製品を仕入れるといったじゃないか。明日からどーしたらいいんだ? うちは倒産だ! 政治家のせいだ。国が悪い! セイフティネットが機能していない!」

知ったこっちゃない。それ承知でアンタ達は自営業やってんだから。
さらなる商品を開発するなり(→夜学や通教で資格を取る)、たとえ一時的に休業しても困らないようにと何らかの手段(→転職計画・貯金)を考えておくのが、世の中の常識なわけでしょ。

ついでにいえば、今回の問題は派遣元(問屋)のせいでもない。
そういうことも有り得ますって契約書に書いてある。派遣元がとんでもない中間搾取していたならともかく、今回の話に関してはそんな事実は聞かないですよね。
私事ですが、最終的に勤めた会社では、派遣されてすぐに派遣元会社とトラブルがあり、自力で掛け合った結果、派遣先企業との直接契約になった経緯があります。
ついでに書くけど、正社員の大リストラがあっても私が残れたのは、「契約社員なら人件費が安いし、すぐ切れる」っていう利点もあっただろうけれど、専門学校卒でもブサイクでも、私の実力を会社が認めてくれたからでしょう。
もちろん筆頭すべきは、人間的に素晴らしい部長の支持があってこそですが。

たかが派遣でも自営業。そのくらいの意地と覚悟がないとダメなんです。

「健康保険がない」「雇用保険がない」って、自分の無知を披露しているだけ。
会社の健康保険がないなら、自分で国保に入ればいいんでしょ? 
雇用保険がないのだから貯金しておけばいいんでしょ? 
そんなことすらも分かんないで生きてきたの?
大体、たとえ毎月2万でも貯金しておけば、少なくとも冬の路頭に迷うことがなかったはず。よほど深いワケアリの人でもない限り、そのくらいは出来たはずですよ。衣食住付きの仕事だったんだから。
どうせ飲む打つ買うなんかで使い切ってたんじゃないの? それを今さら「金がない! 国が悪い!」って、甘いにもほどがある。それをまた政府が面倒みなくちゃいけないって、どうにかしてますよ。

マスコミの取材側もおかしいって。
煙草をパカパカ吸いながら、「所持金が数百円」ってただのアホじゃん。
「どうして貯金がないんですか? それなりに貰っていたんでしょ?」
「その若さで路上生活って、親族や友達に頼れない理由でもあるの?」
「これまでどんな生活を送ってきたわけ?」・・・って、そこ突っ込まないと。

意地も覚悟もないから派遣村? ウマシカも皆で集えば怖くない。

甘い甘い甘い。腹が立つほどに甘い。
栗羊羹食べながらココア飲んだ後、こしあんで歯磨きするほど甘い。

・・・長いので、一旦切ります。

続編:「切られる側の遠吠え・・・正社員様に告ぐ・・・」に続く。
      
posted by Heshbonit at 19:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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