2007年02月10日

派遣時代に思いを馳せる

[今日の天気:小雨/曇り]

休日。10時過ぎまで寝てしまいました。12時間睡眠。
別に睡眠不足でもないのに。

午後からドライブに行くつもりが、小雨がぱらついたりしていて外にも出られず、大掃除をする気も起きず、ただダラダラと家でPCにかぶりついています。

最近、ホチキス関係の検索が本当にすごかったので何事かと思って検索していたら、そういうドラマがあったんですね。
で、いつものようにYoutubeで見たら、あったあった。こういうことか。


しかし、嫌われる派遣・・・。いい描き方をしてますねぇ。

私、ホントにこんな態度、取ってたことがありました。

もちろん、そういう会社だったから、ですけど。
初日から、「あなたは外部者です」という態度を経理部長以外の全員に取られ、何をするにも、「黙って仕事をしていればいいんだ」というのがミエミエ。
それなのに、給湯室の当番には、ちゃんと組まれている(爆)。
はじめの2週間は、それでも皆さんに馴染もうと頑張りましたが、そういう気質の会社だというのが分かってバカバカしくなり、だったらこちらもそのつもりで働きましょう、と気持ちを切り替えました。

私はお仕事マシーン、この会社で働くロボットです。


敢えて名前ではなく、「派遣さん」と言う人に対して、さすがに「正社員さん」とは言い返しませんでしたが、内心では呼んでいましたね。
私用電話ばかりしている女性社員サマが、自分のエクセル入力の仕事を押し付けてきたのも、「部長を通してください」と言って突っぱねましたし。(部長はとてもいい人だった・・・)

残業は必要に応じてしたけれど、飲み会などには絶対に何が何でも行かなかった。そういう付き合いがイヤで派遣になっているんですから。
実は派遣が始まって3ヶ月後、派遣会社との契約で揉め事があったため、その会社の契約社員になりましたが、仕事契約上だけの関係ってことで、同じ態度を貫き通しました。


派遣の人数が少なかったから派遣派閥みたいなのはなかったけれど、女性社員の腰ぎんちゃくになる派遣がいて、私は女性社員サマ&腰ぎんちゃくの目の敵になっていました。相手にしなかったけどさ。
そういった女性社員サマはリストラで一掃されていなくなりました。そして残った私は、その後にさらに残った正社員サマに嫌われることになってかなり大変でしたが。


「あのドラマの台詞、大げさだろう」「あんな会社はないだろう」と思う人もいるでしょうけれど、皆さん、冗談じゃないですよ。

私は現実に、直属の上司にハッキリと正面から言われました。

「会社は経費削減のために派遣を使うんだ。俺は、女の契約社員とか派遣社員とは働きたくないけれど、会社に男の正社員を雇う力がないから仕方ない。会社が俺にアンタと働くように押し付けただけだ」
 
そして、

『リース契約のコピー機と同じだ』


爆弾爆弾爆弾爆弾爆弾

さすがにコレを言われた時には、人事部に言いました・・・。
私は人間なんです、これでも。
お仕事マシーンであることは自覚しているし、
女の契約社員が安いのは、言われなくても知っている。
正社員が内心でどう思っていようが勝手です。
でも、本人に対して言っていいことと悪いことがある。
そしたら上司は、「そうやって揚げ足を取るな」と、
人事部長の前で完全に開き直りました。
その瞬間、「辞めよう」という決意が固まりました。
でも2年間働いたの、私。よくガマンした。
とりあえず、給料と仕事内容はよかったから。



あと、派遣だと外見差別とか年齢差別がアカラサマです。
なにも出来ないけれど可愛くて若い派遣が、仕事がこなせるブサイク派遣よりも丁重に扱われたりとか。27歳以上の派遣に対する態度が異常に冷たいとか。
ま、これは仕方ないといえば仕方ないですけれどね。


もちろん、いい会社もありますよ。
その前に勤めていたコメ系車会社は、女性社員の大半が派遣で、上から下まで正社員は皆、「派遣を大事に」というのが徹底していたから、何かを決めるにも「まず派遣の意見を聞く」とか。もちろん初日から、「派遣さん」なんて呼ぶ人も皆無。
別に派遣を持ち上げてくれというのではないけれど、そういう雰囲気だとこちらも一生懸命働こうという気持ちになるわけですよ。ちなみに、その会社の人達とは、契約が終わった後も、私がイ国に来るまで付き合いがありました。
その前に短期の事務派遣をしていた消費者金融も、とてもいい職場だったし。


でもね、初日からずーっと「派遣さん」と言われ、1ヶ月経っても名前で呼んでもらえなかったら、仲良くしたい気持ちが失せますよ。
なんとか仲良くしてほしい派遣は、正社員の腰ぎんちゃくになるわけですが、私はそういう性格じゃないですから、「なんですか、正社員さん?」って言い返したい気持ちなわけ。さすがに言えなかったけど。
これが添乗員の時は、「添乗員さん⇔お客様」と言うわけだから、日数が短い場合は名前を覚えてもらわなくても全く構わないけれど、そういうのとは違うわけですからね。

これだから、日本の会社は・・・って思った方。
これでも外資だったんですよ(苦笑)。


ときどき、日本に帰ろうかな、なんて逃げ出し根性を抱くこともありますが、こういうドラマを見ると、「やっぱり私にはムリだ」というのをヒシヒシと感じる次第です。

ま、もう年齢制限にも引っかかるから、今更ムリなのも分かってます。
山奥で隠遁生活、継続します。
posted by Heshbonit at 15:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

企画とヤラセ

[今日の天気:雨/曇り]

休日。
「土曜日はイスラエル全土が嵐になります。大雨大風で大荒れです」
と、相変わらず自分に注目させるためにセリフのつもりで天気予報を伝えるチャンネル10の気象予報士ダニー・ループにすっかり騙されました。
小雨が時折ぱらつく程度で、雲の切れ間から薄日が差すほどです。
北部は深刻な水不足です。


さて。
中国の寺社でコメディアンが不適切な行動をとった・・・という話題に驚きました。
なんだか、何やってもいいと思っているのでしょうか。


今から10年前に、某国の現地旅行会社で働いていたことがあります。
社長が日本人で、私は「日本から来る取材関係者・企業関係の視察のアテンド班」に所属しておりました。

ある時、社長室に呼ばれていくと、
「意味不明なファックスが来ているんだ。読んでみろ」と。
全てのファックスは社長が目を通してから仕事を振り分けることになっていて、社長は日本から来たファックスを読んだものの、一体何をしたいのか分からないと。

「コメディアン2人組とテレビスタッフが1ヶ月以内に行くかもしれない。もし行くことになったらいろいろと世話をしてほしい。お願いできるか?」

 ?????

旅行会社というのは、交通手段・宿泊・食事・観光を手配します。
私がいた「取材・企業関係アテンド班」というのは、一般的な手配だけではなく、事前に政府系機関に取材・訪問許可を取り、空港に取材専門スタッフを送って到着出発時の機材の持ち込みの手続き代行をしなければなりません。高度な取材や訪問をするなら、それ相当の通訳やガイドもつけなければいけないし、要人訪問だともっと大変です。

それが、いつどこから来るかも分からないければ、何をどういろいろ世話するのかも分からない。第一、何を目的に来るのかが分からない。これで旅行会社に何をせよというのでしょう。

社長:「こんなコメディアンいるのか?」
:「聞いたこともないですが、新人か三流以下じゃないでしょうか。もう少し具体的な計画を聞かないと何も出来ません。繁忙期ではないから急でも平気ですけれど。でも何がなんだかさっぱりわかりませんから、答えようがありません。何の取材なのか聞いてみないと・・・」

もうお分かりでしょうか。
一世を風靡した無名コメディアンのヒッチハイク旅。
日本に帰ってからそれが何かが分かりましたが。
実際、彼らは私がいた国には来ませんでしたが、もし来たとしたら、一体なにを手配すればよかったのだろうか・・・。

出入国手配と日本人御用達のホテルまでの送迎は当然ですよね。あとは、ヒッチハイクに見せかけて適当な車をアレンジするとか?
現地人の屋台の食事といいながら、実はレストランで作った食事を出すとか? 移動中は常にガードが同行して事件に巻き込まれることのないようにするとか?

もっとも、当然と言えば当然なのです。
撮影中に警察の取り締まりがあるし、現地警察がワイロほしさに、何でもない所で写真を撮ろうとしている普通の観光客に向かって「禁止だ! カメラを没収する!」と言って金をせびることも頻繁なので、特に取材に関しては(何でもない所を撮影するとしても)、常に横に現地人スタッフが同行する必要性がありました。言葉も分からない人間が行き当たりバッタリでカメラ撮影なんて、法的にも不可能なのです。

それらを踏まえた上でも、取材関係のヤラセは日常茶飯事、というかヤラセをしないと番組が作れない、という状態でしたね。演出といえば演出ですが、「ちょっとそれはダメじゃないの?」っていう仕込みは本当にたくさんありました。
具体的に書くとどの辺にいたか分かっちゃうのでやめておきますが。


とはいえ、上に書いた「日本のコメディアンが中国のお寺で・・・」というのは酷い例の一例ですが、でもテレビ局の制作スタッフが全く理解していないのは確か。

胸元露わなキャミソールにショートパンツでスタンバイをしていた若手女優に、「その服装で外に出るのは。せめて胸元は隠して膝まで覆って下さい」と言ったら、マネージャーに怒鳴りつけられたこともありました。
彼女らは「欧米人はラフな服装をしている」と反論しましたが、別に欧米人が何を着ていようが、ここで問題なのはこの国に適切かどうかなわけです。「この国に対して不遜な態度をする人がいるから、私もそうする」・・・って、話が違うでしょう。
もう1つ加えると、彼女は「海外を紹介する番組」をしているのであり、そこに適切な服装を紹介することも彼女の仕事のひとつなのです。「女優がキャミソールにショートパンツだったから、同じ服装でいいのかと思った」なんて思われたら大変なことになります。

その時は、私と一緒にいた現地人スタッフが英語で危険性を説明し(不道徳だと現地人に石を投げられることもあるし、トラブルになったらうちの会社が免許取消になって取材の仕事ができなくなる)、彼女は仕方なくマトモな服装をしてくれましたが・・・。
後で知ったのは、その女優はスタイルがいいのが売りで、テレビで胸や脚を出すのがお決まりらしいのですが、だったら南の島のビーチでビキニでも着てればいいのに。


ヤラセも番組企画の一つ。それをしないと番組は成立しない。
街角インタビューだって、事前に通行人に確認を得てセリフを決めてからインタビューしたり、時には無名のタレントを通行人に仕立ててインタビューをしたりするでしょう。
納豆やらわさびやら小豆やらレタスにしても、結局は同列に見えます。
       
posted by Heshbonit at 19:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月30日

自らを由とする

[今日の天気:雨]

外の雨天とはウラハラに、経理部内は沸きまくっています。
アッチコッチから怒鳴り声が聞こえてくる。
本当にコレ、経理部でしょうか。
どうしてこんなにエキサイトできるんでしょう。
そんな中でも平然と仕事するガイジン職員。


さて。
一昨日、遥か大昔からの知人K氏からメールが来ました。

あれはバブルな時代を、それが泡ぶくだと思うこともなく、何の憂いも疑いもなく楽しんでいた頃。よく誘ってもらってあっちこっち連れて行ってくれた一つ年上の人。
それ以降は1度も会ってないけれど、ふとしたきっかけから連絡がつくようになり、それからは思いついた時に近況報告するようになりました。
(本人の了解を得て今日の記事を書いています)

有名大学難関学部を卒業して、誰もが憧れる業界の超有名企業に就職して、適齢期に結婚して子供もいて、重要な仕事を任せられるようになって、将来も有望。その上、外見も人が振り返るほどいい、と来ている。
万民が憧れるような素晴らしいエリートコースを着々と進んでいた。


「このたび退職して、別の道に進むことにしました」

え・・・?

てっきり、「一戸建てを買いました」とか、「管理職になりました」とか、そういうセレブパパモード全開な内容かと思いきや・・・。


しかし、そこまで行くのに、ものすごい決断だっただろう。

人生は人それぞれ、とはいえ、大多数の人が同じような人生を歩んでいる。
普通に大学に行って、普通に就職して、普通に恋愛して結婚して・・・。
どこかでコースを外れても、結局、どこかで型に納まる。
そういう普通の人生に憧れた。でも私には出来なかった。

なぜ出来なかったのか、自分でも考えることが頻繁にあります。

どこかで箍が外れたというより、元から箍なんてなかった。
いつもいつも、人とは違う行動をする。それが私。
だって、人と自分を比べてしまうから。
比べたら自分が情けなくなる。
なら、比較にならない場所にいればいい。
だから大学には進まず、一般の企業にも就職もせず。・・・恋愛云々は1人で出来るものじゃないからさておいて。

人と違う行動をして、自分を孤立させることで安心していた。

これを言ったら、K氏が言った。
「普通の人は、人と同じことをして安心するだろうに」
そうなんだけれど、それが出来ない。


そして今や、イスラエル。しかもすごい田舎。
正常な神経の人だったら逃げ出すような田舎。
一体、人生どうする気なんだろうと我ながら。
でも、いまさら帰るわけにも行かない。

イ国を選んだ時、「日本に帰って来い」と止めた人がどれだけいたか。
でも、自分が1番よく分かっている。

帰ったって、どうせ適合できない。


・・・さて。
私の話はさておき。問題はここから。


昔で言えば3高で眉目秀麗でエリートな彼は、こんな風来坊な生き方しかできない私に感化されたらしい。


Heshbonitみたいに自由に生きてみたい。やりたいことをやりたい。


・・・おいおい、お前さ、寝言は寝てる間に言えよ。
あ、失礼。いつも敬語でした。

あの、自由に、やりたいこと、って言っても・・・。
僭越ながら、そのポジションに居続けることを強くお勧めしたい・・・。
夢は夢です。叶える事ができない方が人生楽しいような気もします。


もちろん、私とは頭の出来も違うし、生まれ育ちも違うし、財力も違う。
別の道に進んでも、間違いなく成功するでしょう。
万が一、途中で引き返そうと思えば、簡単に引き返せるだろうし。
でも、難関を勝ち抜いて得たポジションを捨ててしまうのは、あまりにもあまりにもじゃないか、と思うんですが。

ごめんよ。奥さんとお子さん(会った事ないけど)。
別に、私がそそのかしたわけではないんだけど、
こんなとんでもない知り合いがいるばっかりに。



自らを由とする。
福澤諭吉が作った言葉だそうですね。
私の生き方も、いつか辻褄が合う日がくるのでしょうか。
全く自信がありませぬ・・・。
  
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2006年12月23日

オプショナルツアー

[今日の天気:晴れ]

今週、Arteというフランス語局で、クレイジーホースというフランスのダンスショーの特集を5日連続で放送していました。
フランス語は全く分かりませんが、この局、好きなんです。

裸の芸術といわれるだけあっていやらしさは全くなく、とにかくすごい。是非とも本場で見てみたいものです。

フランスのダンスショーといったら、ムーラン・ルージュかリドしか知らない上に、ムーランしか行ったことがないんですけれど。ってタダで。

ムーラン・ルージュ・ディナーショー・・・。
添乗員の必須販売オプショナルツアー。

いい思い出が全くありません。
会社は、「添乗員たるもの、パックツアーの客全員をムーランに行かせることに意義がある!」と言って、とにかくムーラン販売を強制する。研修では、ムーラン販売が添乗員の腕の見せ所だと言われ、報告書にムーラン集客率を書かされ、「ムーランに行かなかった客がいる=ダメ添乗員」、と叱咤される。
すごーくイヤでした。
なんで高いムーランを、安いパックツアー客に売らなくちゃいけないのっ!

「お客様ぁ、せっかくパリまで来たんですから、是非ともここは、ムーラン・ルージュに行って、最高の芸術を見なければ! 個人だと予約も大変ですが、今回なら皆さんでバスで行って帰ってこられるんですし。行きましょうよ。ム・ウ・ラ・ン!」

・・・っていう売り文句、確かにそうなんですけれどね。
でもそれを、どう見てもジーンズしか持ってきていないような学生に売って、どうするんですか? ジャケット・タイ着用ですけど・・・。

「女の添乗員でもバゲージにはネクタイを入れておきなさい。そして、『ロスバゲでバゲージが出てこなかったからスーツがないんです。でもどうしても見たいとおっしゃるので・・・』、と言って、足元を隠すようにして入場させてトイレにも行かせないでずーっと座らせておけばいいんです。どうせ日本人パックツアーの客の服装まですべてチェックしていないから」

イヤダ。金さえ払えばいいだろう、ってな日本人。
ムーランの格、落としまくり。


そこいくと、国内ツアーはよかった・・・。
饅頭屋に干物屋に漬物屋に集合写真。
そりゃ、ツアー前に、『リベートをもらえる店にいかに効率よく寄るか?』という計画を練って、どれだけリベートが入るか皮算用してたけれど。
でも、饅頭も干物も必要でしょ。誰だって旅行に行ったらお土産を買うんだし。
それに比べて、ムーラン見たから何だって言うの?


あら、裸の芸術が干物になっちゃった。


さて。添乗員を辞めてからかれこれ10年も経つんですが、未だにいろいろと考えます。未練は全くないし、観光業界で働きたいとはこれっぽっちも思いません。

たとえば、ここ数日のロンドンでの霧のフライトキャンセル。
いやですよ、ああいうの。もうどうしようもないですからね。

天候理由でフライトキャンセルになんてなったら?
待つしかないでしょ。ツアーだったら、お客様だけはホテルに戻って(現地旅行会社が取ってくれるはず)、添乗員と旅行会社職員は空港とダウンタウンのオフィスを往復してチケット確保のために一生懸命。
あのごった返す中、どうしろって言うんでしょう。世界で1番フライト数が多いと言われるヒースローで、しかもこのクリスマスホリデーで、霧が晴れたからって一気に解消できるわけじゃないですし。

私は幸いにも、そういうトラブルに遭ったことがないし、実はそういうのが面倒で海外添乗がイヤになったとも言えます。

いいですよ、国内バスツアー。バスに乗っていれば必ず着きますから。


今や田舎の経理屋。バスにすら乗らない。一時帰国以外、旅行に行かない。


カメラ 今日の写真 カメラ

朝、スタンドに行ったら、ヘルモン山に雪が!
これは午後、写真を撮りに行こう!と喜んで高原を上がっていったのですが、厚い雲の層で山がぜんぜん見えませんでした。

ゴラン高原。この道、本来なら目の前がヘルモン山なんですけれど、今日は厚い雲で覆われています
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2006年10月01日

学校給食と乳糖不耐性

午後、実家に電話をかけるとこんな話。

私の小学生の姪(兄の娘)は、牛乳が飲めません。その姪に対して、担任の先生が牛乳を飲むように強制しています。横に張り付いて「少しずつ飲みなさい」って言うらしい。
いつもは義姉だけだったのですが、先日、兄も交えて担任や他の先生と話をしたものの、学校側は、「アレルギーでもないのに飲まないのはよくない。飲めないならば医者の診断書を持って来い」の一点張り。
親としては、「牛乳分の返金はしなくてもいい。でも、飲めない子に無理に飲ませられない。水筒持参の牛乳アレルギーの児童と同じようにしてもらえないでしょうか?」と丁重にお願いしたものの、「授業に関係のないものを持ってきてはダメ」。
児童相談所に相談したが、「学校の方針であれば・・・」と仲介に入ってくれない。
そして、近所の小児科医に行ったけれど、「乳製品アレルギーでないなら、単なる好き嫌いでしょう」と言って、全く取り合ってくれない。(・・・この医者も相当バカで無知だな)。

学校の先生がおかしいんですか?
それとも、私が非常識だから理解できないの?

「漢字テストを受けたくない」「鉄棒をすると手が痛くなるからイヤ」と言っているんじゃなくて、学校給食の牛乳を飲めない、と言っているだけなのに、なんで強制するの? 文部省の教育要綱に「牛乳を飲む」っていう項目、ありました?

世の中には、「乳糖不耐症」といって、牛乳を受け付けない人がいます。
牛乳を飲むと気持ち悪くなって吐いたりお腹を下したりする。姪もそれでしょう(アレルギーではない)。私の両親も牛乳が苦手で、私も兄達も率先して飲むほうではなかった。そして私は、子供の時は平気だったけれど、20歳頃から卵&乳製品アレルギーが出て・・・。
そういう家系だから、姪もその血を引いているんじゃないかと。
もっとも、全ての乳製品がダメなわけではありません。乳糖不耐症の症状は人によりますが、ヨーグルトやチーズなどの加工品は平気だったり、体調がいい時は多少牛乳を飲んでも平気なこともあります。しかし、体が拒否するものは積極的に摂るべきではありません。
それを無理して飲んで健康を害することが生じたら、学校は将来的に責任を取ってくれるのでしょうか?

電話を切った後、たまたまネットのニュースを見ていたら、「給食費払わぬ親たち」なんていう、衝撃的な話題。

どういうこと?

このブログに来て下さる良識あるコメンテーターの皆様も、これには納得いかないと思うけれど、支払能力があるくせに、1ヵ月数千円の子供の給食代を「敢えて」払わない、って、なにそれ?

理由がこれまたすごいよ。
「給食を食わせてやれ」と頼んだ覚えがないんだってさ。
給食費を払わない子供が毎日タダ飯食っているってことですよね? 
ちゃんと金を払っている親が「うちの子供には牛乳は飲ませないでほしい・・・」と頼んでいるのに牛乳拒否権が認められない。
ところが、その反面、「うちの子供に食わせろと頼んだ覚えがない」なんて言ってのけるバカ親のガキに、毎日毎日タダ飯食いを続行させとくの?


学校給食法では、
「第四条  義務教育諸学校の設置者は、当該義務教育諸学校において学校給食が実施されるように努めなければならない」
「第五条  国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない」

と定められています。
「裕福な子も貧乏な子も平等に食べられるように同じものを配給してましょう」「給食を通じて、食べることの大切さを勉強しましょう」ということが法律で定められているだけです。
「児童が嫌がっても診断書がない限り食べさせなければならない。牛乳は絶対に飲ませること。牛乳以外の飲み物は認めてはなりません」と強要することはもちろん、給食に何を出せという品目も一切定められておりません。

食欲は、動物の本能です。
人間には、動物の本能として、体が受け付けられないものを拒否する機能も備わっています。野良犬野良猫だって、何でも食べるわけではありません。それと同じことです。だから乳糖不耐症の人は体が受け付けられず、吐いたり下したりするのです。
もちろん人間として、本能を満たすだけではなく、美味しく楽しく食べることもとても大事です。特に子供のうちは。
それが、人間に飲食を強要し、周囲がそうだからと、体が受け付けない飲み物・食べ物を押し付ける権限が、公立小学校の教員にあるんですか? 義務教育とは「教育を受ける・受けさせる」ことですが、学校における全てを「義務だ」と強要することではないんですよ。その辺、理解していますか?


つまり、先生方が言いたいのは、
「牛乳アレルギーで体にブツブツが出たりショックによる呼吸困難で入院すると医者が言うなら仕方ない。でも、牛乳を飲んで吐き気と下痢っていうくらいがなんだ! 皆が飲んでいるんだから残さず飲もう! 毎日飲めば慣れるから下痢も吐き気もなくなるさ」
...ってことでしょうか? 

それね、「拷問」って、言うんですよ。
「酒に弱い? 慣れていないからだ。飲めば強くなる。イッキイッキ」
って、飲めない後輩に強引に酒を飲ませるバカ大学生がいるじゃん。
後輩が急性アルコール中毒で倒れてから、慌てて救急車を呼ぶ、アレ。
乳糖不耐症の子供にムリに飲ませる先生も、全く同類ですよ。
先生サマにお聞きします。
自分の子供が吐いても下痢しても、牛乳を毎日飲ませますか? 自分が乳糖不耐症でも、「アレルギーじゃないんだからいつか慣れる!」と毎日毎日牛乳を飲んでは吐き、牛乳を飲んでは下痢しますか? しかも学校で?!

大体ね、診断書診断書って、うるさいよ。
両親が揃って来て、「アレルギー反応は出ないんですが、牛乳を飲むと具合が悪くなりますので飲ませないで下さい」って頼んでんのに、何で分かんないの? 飲めない児童の診断書を学校の掲示板に貼りださなきゃいけないわけじゃないでしょ。
教師の一存で「分かりました」って呑み込めばいいだけじゃん。「診断書はある」ってことにしておけばいいでしょ? それとも、牛乳を飲まない子供が増えて給食制度が崩壊するとでも? 飲みたい子供は人の分まで飲みたいはずですよ、牛乳が好きな子供の方が圧倒的に多いんだから。
逆に、それで牛乳給食が崩壊したとしたら、「給食に牛乳は相応しくないのではないか?」ってことで、見直すいいチャンスになるかもね。

児童に牛乳を無理矢理飲ませて、いったい何が得られるんですか?
牛乳が残ったら先生の給料査定や出世に響くんですか?
もしや、学校給食に牛乳販売のノルマでもあるんですか?
だから飲まない児童の分は診断書を添付して説明しないといけないとか?
でも兄夫婦、「返金しなくてもいい」って初めから言ってるじゃん。
それでも牛乳飲め牛乳飲めって、先生も牛乳も、一体何様なの?


なぜ給食で牛乳を飲ませるんだろう・・・。
古来からの日本の伝統でも何でもないでしょ? 第二次世界大戦後の物不足時代に、GHQが押し付けたものを、21世紀になってまで継続するってなんだろうね。
それで、乳製品アレルギーや乳糖不耐症の子供が「飲めない」ということで、差別感・疎外感を感じなくちゃいけないって、なんかおかしくない?


ひらめき 関連記事:ミルク・ハラスメント(2011年5月20日)

ひらめき 追記(2006年11月1日)

 一時帰国した時、総合病院に勤める薬剤師の友人にこのことを話したら、「乳糖不耐症なら、問診だけで医者は診断書を出す」とのこと。彼女は、「もし今後も続くようなら、私が勤務する病院に来ればいいよ」と言ってくれました。

 ちなみに、さすがに男親が出て行ったのが効いたのか、他のところで何か問題があったのか、とりあえず担任の牛乳飲め攻撃は止まったようです。でも、水筒はいまだに認められていません。

 ・・・え? 先生がこのブログ読んだ? イヤ、それはないでしょ(笑)。

   

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2006年07月09日

香りの記憶

出勤。

本日も相変わらずの仕事っぷりです。
こう見えても仕事は一生懸命です。ってか本人はそのつもりです。
でも時々気を抜いた拍子に、とんでもないことが起きたりします。
午後、溜まりつつある請求書を仕分けし、さてこれから一気に打ち込もうかと腕まくりしたその時、村の中の工場の経理部から電話があり、
「システムエラーのために、今からサーバーメンテに入る。システムから出て」
ってな依頼が来まして・・・。
サーバーは工場内にあって共同で使っているから、こればっかりはどうしようもありません。せっかくヤル気だったのに・・・。


さて。
昨日、ドライブがてらに買物に行った時、ドラッグストアにて、ビタミン剤やらデオドラントスプレーを買いまして。
この私もとうとうデオドラントスプレーにまで落ちてしまいました・・・。

添乗員の時は、客商売だからっていうんで、香水をつけなかったんですけれど、私の一番好きな香りは、香水界の極右翼、プアゾンです。
バブリーな香りでとにかく強烈だから、「臭い」と思う人の方が圧倒的なんですけど、これがどうも好きなんです。
ええ、分かってます。そりゃ、おたふくソース顔にはさっぱり似合いませんよ。分かっちゃいるけどやめられなかった・・・。

まず名前がいい。毒ですよ、毒。こんなにセンセーショナルな名前はないでしょう。そしてあのボトル。何瓶空けたことでしょう。
当時の私、もう触るもの全てがプアゾン臭。会社でも、私の移動する所にプアゾン臭が残るため、どこにいるかすぐに分かるとか言われてた。
ま、イヤミ半分(いや、イヤミ100%)で、「てめ、くせぇんだよ!」という意味なのは知ってましたが、好きな匂いですから聞き流していました。(ヤな女)。

イスラエルのド田舎生活では、どう考えてもプアゾンは不似合いですので、ラルフローレンのシンプルな香りをつけておりました。
しかしそれも底を付き、昨日ドラッグストアでいろいろ見ていたんですが、何だかもうどうでもよくなってきて、最終的にレジに持っていったのが、Faのデオドランドスプレー
香水部門までもが落ちる所まで落ちたか私!ってな気持ちです。
ま、いいんですけど。

香りっていうのは、いろいろとノスタルジックな気持ちになれます。
以前書いた記憶があるけど、例えば、私が好きなメンズ香水はアラミス
アガシの新しい種類じゃなく、1965年に誕生した正統派のね。
別に好きな人がつけていた、とかという思い出があるわけじゃないんだけど、どうも琴線に触れる香りです。
アラミスをつけている人がいると、「ほいほ〜い♪」と、ついて行きたい衝動に駆られます。
だがしかし、アラミスをつけた男性が必ずしも琴線に触れる男性か?というと、「おまいがつける香水じゃないだろうがっ!」ってな人が多いんですけど。

香水じゃなくても、例えば、文具部門では、のり
あのチューブのね。ヘタに付けるとボコボコになっちゃうアレ。あと、チューブの口の周りにこびりついたのがカピカピになっちゃうやつ。

夏っていえば、コパトーンとか、サンオイルの匂い。
ちくしょー、こちとら山奥だよ。日差しだけはやたらと強いけど。
最近、唇が焼けてガサガサです。よく見るとシミまで出てきました。
幸い、髪の毛は日差しにビクともせず健在です。

そうそう、あとね、火薬
いや、別にドンパパパンどんっ(衝撃)ってぶっ放すほうじゃなくて、花火を思い出しませんか。そういう意味で・・・
爆弾 
誰、また仕掛けたのはー! だから違うって言ったじゃん。


コンビニの匂いもノスタルジアですね。
店内入るとおでんの匂いが充満してて、あとフランクフルトとかチキンなんとかの焼き物の匂いが混ざって、決していい匂いじゃないんですが、早朝バイトしていた頃を思い出します。
ってか、思い出していました。今の生活にアレはありませんから。

飛行機バスの臭いは、無条件に添乗員時代を思い出す。
若かったなぁ・・・と。

ではコメンテーターの皆さん、好きな香りを3つ挙げてください。
くれぐれも、今日はキレイ系コメントでお願いします。

   
posted by Heshbonit at 20:00| Comment(6) | ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

中学時代の思ひ出

出勤。

宿題も適当に終え、今日は割とのんびりと。
先輩部員は監査が終わったら休暇をとって連休にするようです。
来週はシャブオット(祝日)。早いですね。
そうこうしていると夏休みになっちゃいますからね。

さて、世界の中学生の喫煙率が17%なんていう記事を読みました。
中学時代・・・。20年以上前の話。
マジメでした、私。思いっきり。バカが付くほどマジメ。
それでも、殴られましたね。

地元の公立中学に通っていた当時は、校内暴力全盛期
金八先生が松浦クンと加藤クンが出てくるシリーズだったり、積木くずしやスクール☆ウォーズが流行ったりとか、そういう世代です。
で、そんなテレビドラマよりも、地元からさほど遠くない中学校で、「学校が荒れに荒れ、逆上した先生が不良生徒を刺す」なんていう事件が起きた方がよほど深刻で、地域周辺では「なんとか連合☆世露死苦」などの伝播・余波を恐れ、近隣地域の中学校が厳戒態勢に入ったわけ。
そういう状況だから、生徒の人権なんてないようなもので、まるで軍隊のようなガチガチの校則に縛られた中学時代でした。

先生はどこでも竹刀持参。ちょっとでも何かあれば先生が殴る。
マジメな生徒の私でも、「全員、黒板注目」と言った時にノートに何か書いていたってことで、竹刀で横っ面殴られました。
行進の時、足が逆になって慌てて戻したのを、「列を乱した」と終了後に私を含め数名が呼び出され、全員の前で殴られる。
あと、両手ビンタ10回。往復じゃなくて、両手で。それも掃除の仕方が悪いという程度で連帯責任で班の全員が・・・。これ、痛いんですよ。逃げ場がないし。
校則もホントにガチガチだったし。いじめられる生徒が保健室に逃げるっていうことすら許されない。養護の先生もそれどころじゃないから。ホント、そんな時代だったんです。

殴られることには、誰も疑問も持ちませんでしたね。
先生は生徒を殴って当たり前って思っていました。
親達も、校内暴力を恐れていましたから、「生徒を治めるには、殴れ」という教育方針に対して、異論を持たなかったのでしょう。

学校がそんなだから、先輩後輩の関係が異常に厳しく、私はマジメな割には髪の毛の色がおかしかったので、何度か呼び出されました。積木くずしにそういうシーンがありましたけれど、まさにそんな。
ま、呼び出されるくらいならね。殴る蹴るはないから。

中学3年の時、厳しい学年主任が出張に出た日、校内暴力が起きました。
廊下がワーワーうるさいから出てみたら、
一部の生徒が先生を殴る蹴る パンチ
止めようとした先生を別の生徒が後ろから飛び蹴り exclamation
ガラス割るわ、物は投げるわ壊すわ
どんっ(衝撃)
♪シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて〜

高校に入学する時に内申書というのを重視していた時代だったため、かなりの生徒が、ヘタに巻き添えを食わないようにとさっさと教室に入って行って・・・。
実際、マジメ一直線だった私にとって、マジメな生徒をバカにしたり授業を中断する人達は心の底から軽蔑していたので・・・。
ってか、テレビでやってたのと同じことしたいだけでしょ? バカじゃんっていう程度にしか感じませんでした。
なんとか連合☆仏恥義理な人達は、他校とのメンツの問題で暴れてみたいだけなわけ。
しかし、タイムマシンがあったら見たい光景の1つです(笑)。


学年主任が帰ってきてから、体育館で3年生全員正座。
学年主任がどう出るかと思ったら、いつもの態度とは打って変わって、金八先生ばりに泣きそうな声で説教を始めた。
すっごい空々しかった。
だから私は関係ないじゃん、って板張りで寒い正座させられながら、本当に腹が立ちました。やった生徒だけ呼び出せばいいんであって、こっちは受験生なんだから下らないことで時間潰すなよ、って思った。


なんか思い出してしまいました。


よく、「Heshbonit、どこからそんなになっちゃったの?」と言われます。
どこからこんなになっちゃったのか、本人もよく分からないんですが、
っていうか、素質があったんだけれど、披露する術がなかったか・・・。
抑圧されすぎてはじけちゃったのか・・・。


今日のつぶやき
posted by Heshbonit at 16:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月21日

蕎麦食べたい

ヒマだから、ちょっとたわごと。

蕎麦食べたいな、と。
すっごい好きなんです、蕎麦。
好きすぎて、そこらの安物は絶対に食べません。
で、イスラエルに来てから全く食べてません。

添乗で全国各地の蕎麦を食べましたが、
一番美味しかったのは、永平寺の蕎麦。
昼食に寄った指定ドライブインにて。
お客様は精進懐石かなにかでしたが、
添乗員は休憩室で、シンプルな蕎麦だった(無料)。
あまりにも美味しかったけれど、お替りはカッコ悪い。
悩んだ末、お店に入って注文しようとしたら、
「添乗員さん、無理しないで休憩室でお替りして」と言われ、
再び休憩室に戻って頂いたことがあります。
(確か、山盛りにしてもらった記憶があります)。
ホントに美味しかった。

基本的には、冷たいざるそばが好き。
温かいと蕎麦の香りが失われる気がします。
蕎麦つゆをつゆだくにする人もいるようですが、
私は蕎麦の香りそのものが好きなので、
つゆはほとんど浸けません。
具は要りません。海苔すら邪魔。蕎麦を台無しにします。


あー、そうそうそうそう!
蕎麦って言ったら、盛岡。
忘れちゃならない。
やりましたよ。わんこそば。


126杯



・・・がく〜(落胆した顔)(10杯=1人前。成人男性平均が60〜70杯)。

お給仕さんに、「まだ食べられるでしょ?」と言われまして、
実際、ホントは、もっといけたんだけれど、
実は添乗中でしたから(お客様は「自由夕食」)、
「明日具合が悪くなったらヤバいし・・・」と止めたんです。
なんか、物足りなかったですね。
その後、ドライバーと一緒に夕食&飲みに行きました。
(私は飲まないけれど、付き合いで・・・)。


イスラエルでも日本食品店で並んでたりしますし、
日本から持ってきてもいいのでしょうけれど、
食べたいと思わないです。
蕎麦ってやっぱり、情緒を楽しみたいんですよ。
ただ空腹を満たすんではなく、
香りとか気温とかそういうのを全て満たして
味を楽しみたいわけで・・・。


あー、蕎麦食べたい。
うどんじゃなく、蕎麦。
蕎麦の割合が高ければ高いほうが美味しい。
やっぱ、日本人だ、私。

あ、うどんも好きですよ。
美味しかったのは、群馬の水沢うどんですね。
うどんはイスラエルに来てから、
パスタマシーンで自分で打ってます。
蕎麦はこうはいかないですけれど。


さて、夕飯でも作るか。
posted by Heshbonit at 18:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月25日

達成感

昨夜のフィギュアのエキシビジョンを見ていて思ったんです。
こう、超一流の人にしか味わえない達成感っていうんでしょうか、そういうのに溢れているなぁ、と。

先日も書いたけれど、中高6年間ヤル気ナシ子さんだった私は、どの部活にも所属せず(中学の時はイヤイヤやってた)、練習の苦労とか試合の緊張とか仲間同士とか、そういうのをある意味白い目で見てたんです。
って、ホントは強い憧れもあったんですけれど、なにせ運動神経がかろうじて繋がっている程度にしかないから。
自分の高校の野球の応援なんかにしても、(本メンバーが9人揃わない強烈な野球部だったけれど)、友達に誘われて1度だけイヤイヤ行った程度。もちろん1度以上はなかった。だって1回戦で敗退したから。
で、高校の時の体育祭はどこの高校も同じだと思いますが、生まれ月で「軍」に分かれて、ダンスとかをやったりするんですが、これも参加しませんでした。
運動神経が悪くて踊れない、っていうのが第一の理由なんだけれど、それを言うのが恥ずかしいから、「あー、私、興味ないし〜、そういうのに自分の時間を使いたくないんだよね」とか言って。ついでに言えば、落ちこぼれでかなり捻くれていたものですから。内心、めちゃめちゃ羨ましかったけれどね。
それに、元々男女仲が悪いのに、この時だけ青春ゴッコみたいなことをするのが空々しくて、イヤだったんです。

専門学校はまぁ専門学校ですから、そういったものはなく。
でも高校時代が異常につまらなかったんで、結構楽しかった。学校そのものも面白かったけれど、バイトしたり、どっかの大学の合コンに行ったりと、ほら、バブル末期だったから。とにかくよく遊びよく学んだわけです。

青春だったのは添乗員時代。これまでも何回か書いてきましたが。
なんていうの、わが人生の最高潮・Heshbonit絶好調、って。
もちろん毎回嬉しい楽しいことばっかりじゃなく、いろいろありましたけれど。
想像できるでしょう? 添乗員ですよ。朝は早い夜は遅い・客に気を遣いドライバーに気を遣い滞在先に気を遣い・ペコペコ頭下げて・あっちこっち駆けずり回って・・・。前も書いたけれど、とにかく神経すり減らして痩せてたし。(身長160cmで体重が40kg前後だった、って信じられる?)
でも、そういうのを全て含めて、楽しかったわけ。
なんであんなに頭を下げられるか? プライドですよ、添乗員としての。
「添乗員さん、それだけ仕事をバリバリやって人生楽しいでしょ?」
ってお客様に言われて、もう気分は、藤原道長。
ずいぶん安っぽい道長だな・・・。


そういった時期を過ぎて、オトナになってしまったら、達成感なんていうものを味わえなくなっていくわけです。
というか、そういう機会がなくなっちゃう、と。
そんな達成感が恋しい人が、近所の草野球とかに参加するんだろうな。

毎日経理部で電卓叩いてたって、別に達成感はない。
そりゃ、支払完了して勘定がキレイに合えばよかったとは思うけれど、それを達成感とは言わないでしょ、普通は。
資格試験に受かったって、やっぱ体を動かした達成感とは違う。
敬愛するわが実兄2人は金融業界で営業一筋でやってますが、ノルマを達成した達成感っていうのは、どうなんでしょ。
そりゃ、達成して飲む酒は嬉しいだろうけれど、高校野球のような爽やかさは間違いなくないでしょうね。


35過ぎた今さらながら、そういうスポーツ選手の青臭さっていうか、そういうのにものすごく憧れが出てきて、エキシビジョンの最後の一流選手が出てきて踊るシーンを見ながら、過去のいろいろを思い出して、切ないというか、いたたまれない気持ちになってしまった。

もう私の人生において、達成感を感じることはないだろうって。


  
posted by Heshbonit at 20:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月18日

夢のまた夢

[本日の天気 晴れ] 

休日。

これまで24時間ホカホカ状態を保ってくれいてたラディエーターの水漏れで、昨夜温水バルブを泣く泣く閉めたため、とっても寒い朝です。起きたって寒いんだからと、久しぶりに9時過ぎまでベッドでごろごろしておりました。

さて、これじゃやることもないし、雪山撮影でもしにドライブに行こうかと思ったものの、どうせ道路が大渋滞だろうから、おとなしく在宅。


先週、日本人の友人が来て話したことを書ききれなかったので、そのことでも。
X氏Y氏とも、在イスラエル年数がとても長く、もちろん永住予定。2人とも20代前半で日本を離れ、流れ流れてイスラエル…という境遇です。
X氏は昨年、9年ぶりに日本に帰国したそうで、日本の発展に驚いたといい、
「もしお金と時間があったら、日本に3ヶ月くらいいてノンビリしたい」、と。
Y氏はそれとは対照的に、やはり2年前にちょこっとだけ日本に帰ったけれど、「もう日本の環境にいるのは辛いから、私は日本には住めない」。

私はどうでしょう。
帰れるものなら帰りたいとは思います。ただ、選んでこっちにいる以上、
「やっぱ、日本の方がいいかも」
とあっちこっち選んで生きることはできないし、今さら日本に戻ったって仕事だってないだろうし…という消去法をしていくと、やっぱイスラエルってことになるのかな。


帰りたいですよね。生まれた国だもん。
添乗員をしていた時に訪ねた名所旧跡とか、日本の景色とか、時々とっても恋しくなります。海外ツアーよりも日本の温泉ツアーのほうが好きだった理由は、「日本が好きだから」です。

ツアーの中で好きだったのは、佐渡周遊。地元からバスで新潟まで行って、フェリーで佐渡に渡り、佐渡島をぐるっとバスで1周する2泊3日の旅。

そうそう。思い出した。
佐渡のツアーでは毎回泊まるところが決まっているんですが、ある時、外海府の海沿いの旅館の仲居さんと話をしていて、
「本当に佐渡はいい所ですね。添乗員を辞めて住みたいくらいです」
とポロリと言った事があります。

仲居:「添乗さん、ホントにそう思う?」
私:「ホントです。私は生まれも育ちも神奈川だけれど、普通の住宅地に育ったんで、海が見えるところに住むのが夢なんです。ここは冬が寒いのは辛いけれど、春から秋にかけては最高ですよね。なんかね、ここに来ると、『帰ってきた〜』って感じがするんですよ」
仲居:「添乗さん、今の言葉貰った。実はね、この旅館の若旦那、独身なんだけれど、どう?」
私:「はぃぃぃぃぃ?」


・・・で、若旦那とどうなったか?
どうもなりませんよ。若旦那の顔すら見てません。 
なってたら私、今頃は佐渡の旅館の若女将で、女将日誌でも書いています。


もう1つ思い出した。
佐渡がいい所だと絶賛する私に、母が「佐渡に行ってみたい」と言い、仲が良い伯母と2人で、私の添乗で佐渡2泊3日ツアーに参加することになりました。
運がよいことに、ドライバーは私と一番気が合う人だったし、ツアー客もどうしたことかとても和気藹々とした雰囲気で、天気もよく非常にいいムードで2泊を過ごしました。
帰路のフェリーの中、お客様がいる船室に様子を見に行くと、ゲラゲラと笑い声。皆さん、輪になって座って、仲良く話をしていらっしゃいました。(輪の中にはもちろん母と伯母もいます。他のお客様には内緒です)。

「あー、添乗さん、こっち来て。いやぁホントに楽しかったよ」
「ホントにねぇ。それにしてもいいお嬢さんだわ」
「ところで彼氏はいないの? え、いない? ホントかなぁ」
「私の会社にちょうどいい年頃の男がいるんだけれど、どう?」
「あらぁ、添乗員さんみたいな人に普通のサラリーマンじゃムリよ」
「彼は将来有望で、海外にも行く人だから、添乗員さんにぴったりだよ」


母と伯母が耳ダンボでこの縁談話を聞いていたことはいうまでもありません。
・・・で、どうなったか?
どうかなっていたら、私は今頃、転妻日誌を書いています。


お客様に気に入られて、「うちの知り合いに」「親戚の甥っ子が…」と縁談を持ち掛けられたことは1度や2度ではありません。
しかし、どれも持ちかけただけで、写真込みで持ちかけたり、電話がかかってきたことは1回もないですけれど。
それになんと言っても国内ツアーですから、参加するのが中高年ばかりで、同年代の若い人が参加することがなかったため、ドラマのように「ツアー中にお客様と…」ってなことはまず有り得ませんでしたね。


それにしても、人生っていうのは面白いものです。
小学生の時、「小学校の先生になりたい」と漠然と思っていました。まぁ、小学生なら誰もが見る夢というレベルですね。
中学生の時は、普通に「会社員になりたい」と。当時は会社の制服を着ることに憧れがありました。
高校生になって会社が具体化し、「証券レディになりたい」。
そこで、大学ではなく専門学校に進んだのですが、証券会社の苦労を兄がイヤというほど見せてくれたため、証券レディの夢はあっという間に捨てました。
で、専門学校では、簿記がとても得意だったのと、税理士事務所でバイトしたこともあって、「税理士になろう」と決意。
・・・だが、能力の限界で夢は破れる…。_| ̄|○
それで添乗員になったのは、私もよく覚えていないんですが、「旅行関係の仕事の説明会」というのがあって、勤めていた会計事務所を辞めて無職だった私は、ふらりと行ったんです。それが、添乗員の面接だったと。
で、面接をクリアしてしまって、研修も受けてしまって、やってみたらそれが面白かったために、別の会社に移籍して…。
実は、高校時代、大学受験に失敗した友人が、「浪人できないし、添乗員になりたいから旅行関係の専門学校に進む」と言うのを聞いて、「うわぁ、添乗員だけはやりたくない」と思った私だったんですけれど…。


しかしですね、一体どこの誰が、私がイスラエルの山奥の小さな村で経理部員をするなんて考えたでしょう?
確かに簿記が大好きだ。責任のある仕事ってのはいいことだ。


でもそうじゃなくて、


ホントは、海が見えるところに住むのが夢だったんですけれど。

ここ、山しかないんですけれど…。
posted by Heshbonit at 16:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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