2008年04月05日

強い味方

朝方見た夢に、懐かしい人が出てきた。
イスラエルに来る前に働いていた某コメ系会社の経理部の部長だった。

派遣の面接の時の第一印象はすごい冷たそうで、「こりゃ、この人と働くのは相当難しそうだ」なんて思ったんですけどね。
ま、私の場合、経歴がメチャメチャでマトモな学歴も職歴なんてないんですから、使ってもらえるだけ有難いと思わなければなりません。

会社は、駅から車かバスでないと通えない所にありました。
日本にいた時は免許もなく、面接当初、「会社の定時送迎バスはありますが、正社員専用ですから」と人事部の人に言われました。
派遣は交通費自分持ち・・・。とはいえ、社員食堂同様に、バスも社員限定というなら仕方ないですから、駅から路線バスを使っていたんですが、ある日、部長に呼ばれました。

部:「Heshさん、今日車の中から見たけれど、会社のまん前にバス停があるのに、手前で降りて歩いていたのはどうして?」
私:「会社の1つ手前と会社の前で降りるのでは、30円違うんです」
部:「は?」
私:「あの(・・・笑)、手前のバス停の『◎◎橋下』で降りるとバス代が170円なんですが、次の停留所の『XX会社前』から200円に上がるんです。バス停1つなんて、歩いて5分もかかりませんから・・・(嗚呼、骨の髄まで経理屋)」

その日の帰り、部長に呼ばれました。
「今日から会社のバスに乗って帰ってください」

部長は人事に電話して、「派遣だって会社で働いている人なのに、なぜ送迎バスを正社員限定にするんだ?」と掛け合ってくれたらしい。
晴れて派遣も、会社のバスに乗れるようになりました。

黙っているのに、周りに目を配れる。そういう人でした。
私が女子社員に嫌われている現状に関しても気にしてくれ、
「社員の一部があなたのことを誤解しているようですが、きちんと働いているのは私が分かっていますから、余計なことは気にせずに仕事に徹して下さい」

職場環境はとても寡黙で、仕事中の余談などしない状況でしたが、私が以前住んでいた国にとても興味を持っているそうで、ふとした折に話をすると、「いつかは絶対に行きたい」としきりにおっしゃっていた。
とはいえ、奥様が病気で、在宅介護をしているらしいようなことを噂で聞いた。でもそういうことを微塵も感じさせなかった。

直属の課長から、「あなたみたいな人とは働きたくないけれど、仕方がないんだ」と存在自体を否定され、嫌われまくっていた会社だったけれど、部長だけはとてもイイ人で、それだけが唯一の救いだった。
派遣会社との支払トラブルがあった時も、部長が人事部とうまく交渉してくださったおかげで、会社と直接契約をすることになった。
言われたように仕事に徹した。ま、仕事は本当によかったから。
ところが部長は、一斉リストラで「左遷的栄転」で系列会社に。

それから1年後。私が会社を辞める数日前、なぜか部長が来た。
果たしてあの日、会社に来る用があったのかどうか、未だに分からない。あの日は特別な会議もなかったし。ま、それはいいんだけれど。

「辞めると聞きました。よく頑張って働きましたね」

そして、

「困ったことがあったら、いつでも来なさい」


あれから、9年近く経ちました。私は未だに悲しくなるくらい未熟者です。
でも、何かあると思うのです。

・・・まだ部長に頼るほどのことじゃない。


敵はたくさんいますが、味方にも恵まれています。


ひらめきおまけ
なんか新しいブログパーツを貼り付けてみた。
悩みを入力してから、10秒以内にクリックしまくると・・・。

行ったらどうにかなるんでしょうか? 余計に開きそうな気がしますけれど・・・
posted by Heshbonit at 18:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月17日

Stupeur et tremblements

昨日の夜、TVで見たベルギーの映画(trailer)。なんて発音するんだか不明。「恐れ慄く」と訳されてますが、なんだろ、「恐れ多い」「畏敬」ってことなんでしょうか。
都合により、日本では公開もDVD発売もされていないみたいです。
Dailymotionにアップされているけど、残念ながらフランス語バージョン。
昨日見たバージョンは、彼女のモノローグだけがフランス語で(ヘブ語字幕)、日本人との会話は全て日本語だったんだけどな。

さて。
ベルギー人女性のアメリさんが、商社に入社した1年の経験を書いた自伝的作品の映画化。ま、映画化するに当たって、コメディタッチに相当誇張されてはいて、「それは有り得ないだろ」ということが多々あるものの、描いている雰囲気はすごくいい。

上司に口答えして怒られ、直属のお局上司に無断で男性社員の仕事を手伝って嫌われ、コピーを取れば歪んでいると何度もやり直しを命じられ、お局から徹底的なイビリを繰り返される。
最後に「トイレの紙補充&掃除担当にされる」っていうところは、「商社でそれは絶対有り得ないだろ」っていう描き方だけれど、「自分の能力とは全く異なるムダな仕事に時間を費やされる」という意味としてはなんとも・・・。

この映画、「今から就職する」って言う人に見てほしい。

ってのも、アメリさんが日本企業でやったことって、日本人の私が日本の企業(コメ系企業)でやって、嫌われてしまったことと同じだったから。
今だから、「あー、だから私は嫌われたのね」ってのが分かったけど、当時は、「なんでこうなんですかっ!」ってなモード全開でした。
そりゃ理不尽なことだらけで、ガマンしようにも限界だったんです。

主人公のアメリさんが、自分のことを上司につげ口したのは直属上司の吹雪さん、ということを知り、「私、吹雪さんと話をする。言わないと気がおかしくなる!」と、吹雪さんを呼び出して意見をするシーン、「アメリさん、ダメ、それをやったらダメだよ!」と、夜中に苦笑してしまった。

同じことやったよ。だから徹底的に嫌われたんだよ。
私、日本でガイジンだったのか。今さら分かった。
だから、「リースのコピー機と同じだ!」って怒鳴られたのよ・・・。
でも耐えられなかった。ホント、言わないと気がおかしくなるところだった。


つまり、こうしてしまったら日本の会社では嫌われます、っていう見本なので、これから就職する人はきっと知っておいた方がいいです。

さもないと、私のような運命を辿ります。もう戻れません。


でもね、別の角度から。
アメリさんが、幼い時に京都の枯山水を見て感動し、それを日本文化だと思い、それに比べて会社は・・・みたいな印象を抱いている感じがしたんですが、

枯山水も、歪んじゃいけないコピーも同じなんですよ。
それから、1円たりとも間違えてはいけない旅費計算書や、
ムダだと思うような仕事も。
そういう積み重ねで日本は成り立っているんだから。

私だって、歪んじゃいけないコピーとカッチリ精算の旅費計算書は分かる。
でも、上司絶対服従とか、「契約社員は正社員様の言うことを盲目的に聞いてりゃいいんだよババァ!(注:当時27歳)」ってのは理解できなかった・・・。


今は、他人の取ったコピーが歪んでいるとイラっとしますが、それほど気にならない。それから旅費計算が多少合わないのはテキトーに何とかしてる。

いくら日本に適合できなかったとはいえ、日本で生まれ育った日本人として、枯山水を見るとほっとする。
・・・が、イ国には枯山水はなく、イ人はそれを理解しない。


蛇足ながら。
映画内では、「弓元株式会社」という商社名になっていますが、彼女の履歴などでその商社がどこかが分かっており、「1年間勤めていたベルギー人女性が受けた理不尽なこと」を描いた映画には配給も付かず、日本で公開に至らないのかと思います。
posted by Heshbonit at 23:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月01日

私はそれを安全だと習った

たぶん私だけじゃないはず。

軍隊式教育の市立中学校の学校教育で、「冷凍食品は安全だ」と習いました。
「調理したたその場で冷凍処理するから、保存料などを一切入れていない。だから安全な食品です」と。はっきりそう習ったんですよ。
私の母は冷凍食品が嫌いで、「あれは体によくない」と言っていたため、私は家に帰って習ったことを母に告げました。

中学は弁当持参でした。
でも、トラック野郎の父親と兄2人という家庭環境では、どうしてもお弁当が「茶色い」んです。分かる? ほら、おかずがさ、揚げ物とか焼肉とかそんなのばっかりなわけ。しかも卵アレルギーだから黄色がないし。で、ふりかけもうちでは付けてくれなかったんです。

友達のお弁当には、色とりどりのおかずとか、冷凍食品のさまざまなのが入ってて、なんかうらやましかったんですよね。
そりゃ、「プチトマト」なんておかずじゃない。あんなもの入ってても場所を取るだけで何の足しにもならない。高いだけだしさ。でも、あの「ブリリアントレッド」は、梅干では絶対に醸し出せない力があるわけ。でも、梅干の汁が滲みたゴハンは好きだったけど。
で、「カラフルなお弁当にしてほしい」と母に言うと、翌日の煮物には、人参とインゲンが多めに入っていた。醤油で煮た人参とインゲンは違うんだ。それはもはや、ビビットオレンジでもフレッシュグリーンでもない。ってかその前に、人参は嫌いだって知ってるはずじゃん。

そんなわけで、「学校で習ったよ。冷凍食品は安全なんだって!」という錦の旗を掲げ、それ以降ごくたま〜に、近所のスーパーで冷凍食品3割引の時に、冷凍食品を買ってもらったりした。
でも私が選んだのは、当時走りだった「チキンナゲット」に「ABCポテト」。
で、母が言うんです。「鶏の唐揚とコロッケとどこが違うのよ?」と。

同じ茶色でも冷凍食品の茶色は違うのよ。冷食のナゲットと何とかポテトとかってのは、なんていうんだろ、パーっと明るい黄色がかった茶色なの。
これが自家製だと、そのまんまなベタな茶色。お弁当の蓋を開けた時に、豚肉のしょうが焼きの匂いとチクワの煮物の匂いが、モワ〜ンとダブルで来る上に、煮物の煮汁がゴハンに滲みてたりした日にゃ、絶望的な気持ちになるわけだ。

別に「片思い男子」がいたわけじゃないから、お弁当を誰かに見られてどうってわけじゃないけど、やっぱりそれでも「男子のお弁当と変わらない見栄え」ってのは、個性を発揮する場所が殆どない軍隊中学の女子にはとても厳しいんです。
何よりも、「お弁当のおかず」=「夕べの残り、そして朝ごはんのおかず」だったりするのがイヤだった。つまり、お弁当のおかずは、あくまでも「お弁当のためだけのおかず」であってほしい、と。蓋を開けた時のワクワク感が必要なんです。

あんまり言うと「自分で作れ」と言われるし、実際に食べてみると、「チキンナゲット」も「ABCポテト」もプチトマト並みにおかずにならないため、フェードアウト。
でもまぁ、母もちょっとは私の気持ちを汲んで、たまには「牛肉のほうれん草巻き」とか「ベーコンのアスパラ巻き」なんかも作ってくれました。
そりゃ母もパートに出ていたから、自分のも含めた家族5人全員のお弁当を作っていたわけで、そんな私のワガママに付き合ってられなかったんですよ。
第一、5人分ともなれば、冷食よりも、材料から作ったほうが早いから。


さて。
そんな学校時代に思いを馳せながら(って何の記憶もない暗い時代でしたが)。
なんでしょうね、毒ギョーザ。

こちらのサイトにも、「急速凍結したうえ、低温貯蔵されていますから、腐敗や食中毒の原因になる細菌も活動できず非常に衛生的です。保存料などは使用されていません」とハッキリ明言されてます。

さらに別のページには、「中国産冷凍野菜では、日中両国政府の取決めにより、厳格な管理・基準をクリアした製品だけが輸出可能であり、さらに輸出時に中国政府の検査による証明書の発行、輸入時には厚生労働省の検査が行われ、すべてクリアして初めて国内に搬入されます」とありますが・・・。

「パッケージに針で刺した形跡・・・」なんていう情報も出てきて、あと1週間くらいしないと何がなんだか分からない状態ですけど。今はとりあえず、「危うきに近寄らず」ってなところですね。


イスラエルの冷食事情は、一般のスーパーに出ている分に於いては、かなり品種が少ないです。調理済みタイプで言えば、筆頭がピザで、あとはシュニッツェル(鶏肉や魚などのフライ)とか、フライドポテトなど。
私がたまに買う、冷凍のベジタリアン用シュニッツェルは、EU圏輸出が非常に多い食品で、その基準で作っているからとにかく原料を厳選しているらしい。

今となれば、手作り一辺倒だった母の元で育ったおかげで、「基本は手作り。外食は大嫌い。スーパーやデパ地下の出来合いのお惣菜は買わない」な私がいるんだ、と母に感謝する思いです。


でもこうなると、イスラエルで売っている日本食料品にもかなり疑問が出てきますね(大半がC国製)。これまでは疑問を抱きつつ、目を瞑っていたものの・・・。
posted by Heshbonit at 17:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

忘れられぬ人達

よく、「男はいつまでも憶えているが、女はすぐにスイッチを切り替える」なんていいます。ま、これは一般的には、恋愛関係のことらしいんですけれど、恋愛でも、それ以外のことでも、私は妙に憶えているほうです。

何に関しても記憶力がいい。
果たしてこれを「記憶力」というのか、「執念」というのかは別として、・・・あ、いちいち、別としなくても「執念」なのは明らかですが・・・、「あれー、そうだったけ?」なんて平気で言える、物事を忘れやすい常に前向きで過去をバッサリ捨てられる人が、うらやましく思うことがあります。

さて。
色恋沙汰は、思い出すような話はないし、苦手なので割愛。
ま、完結編の色恋沙汰よりも、未遂だった場合のほうが、一抹の寂寥感みたいのがあったりして、いつまでも記憶に残ったりするわけですよ。
そうだよね〜、姫? あれ、姫? 姫様?
ちっ、日本でカニ食ってやがる・・・。

とはいいつつも、某風呂にて、『Hesh坊は大変に利口だが,弱点は経験値が低いことである』と、会ったこともなければしゃべったこともないN兄に、ズッパリ指摘されちまった以上、もう身も蓋も取っ手も鍋底もありゃしねぇや。
ええおっしゃるとおり。隠すことはな〜んにもございませぬ。

そりゃ、大学名だけでもネーチャン達が砂鉄並みにゾロゾロ付いてきて、「何はなくとも、オンナには困らない」というバブル全盛期を謳歌した百戦錬磨のN兄とは、もう根本的なところからじぇんじぇん違うからさ。
悪いけどアタシ、昔から堅気一筋だもん。
「100のLikeより1つのLove。byミッチー」みたいな。(・・・はっ?)
ってか、その「1つのLove」を探すのだって大変なんだから、N兄がどうやって経験値を高めたのか、伝説の勇者ロトの血を引くN兄の魔性のオトコっぷりを、じ〜〜〜〜〜っくりと聞いてやろうじゃねぇか。

あら、1滴も飲まないのに、やさぐれちゃった。


・・・ということで、いい加減、本題に入ります。
今日はちゃんとしたことを書こうと思ってたのに。


先日、懐かしい女性が夢に出てきた。
添乗員の時、初めて海外添乗したオーストラリアのガイドさん。年齢は私よりも8歳上で、笑顔が素敵で落ち着いた雰囲気で上品な人だった。
ツアー中の朝、ガイドである彼女がホテルに来た瞬間から、妙に意気投合して、観光地でお客様がお土産を選んでいるような短い時間にも、昼食の時にも、なぜか「昔から友達だったよね」っていう感じで話が進み、その日は「自由夕食」だったから、夕食も一緒にして延々と話をしたほど。
その時は、ま、ツアー添乗なんだからとりあえずそれで別れたけれど、
「Heshちゃん、こっちで一緒に働かない?」って言われて、ものすごーく心が揺らぎ、私もオージーに行って、現地旅行会社に入ろうかと真剣に考えたほどでした。
夢に出てきただけでも懐かしかった。今、どうしているんだろう。

記憶に残っている人といえば、忘れられない人がいる。
以前にも書きましたが、生まれて初めて旅行した国で知り合った、現地ガイドをしていた日本人女性。
彼女とは、それから数年後、私がその国に住んでいた時もお世話になり、帰国後も彼女を訪ねてその国に行ったりもし、彼女が日本に一時帰国した時にも会ったりして、頻繁に連絡を取っていました。
私がイ国に来てから、連絡が途絶えてしまいましたが...。
とにかく、私の人生に強烈なインパクトを与えた人であることは間違いない。こういう世界に足を踏み入れる大きなキッカケとなった人ですから。
強さと女性らしさを兼ね備えた、女が惚れてしまうカッコイイ女性。
もちろん、今でも彼女のようになりたいと目指しています。
あ、外見は絶対にムリだけど。彼女はマジでカッコヨイ。


イ国に来てから、出会いの数は本当に少ないです。
が、コチラに何度も登場する、在留邦人のX氏にしてもY氏にしても、日本で普通に生活していたらまず会うことが出来ない、非常に稀有な存在です。
さすがこんな辺境な地に生きている男だけあります。
特にX氏、ちょっとこういう人は、どこを探してもいません。
ま、Y氏も、X氏とは別の意味で、どこを探してもいないですが。

それと、5年前、大使館関係の某役職の方とお話する機会がありましたが、その地位を全く感じさせない気さくで素晴らしい方で、「是非ともまた話を聞かせていただきたい」と強く感じた方でした。


私は、人に影響を及ぼすような才能も能力もオーラを持ち合わせてもいないし、そういう人に憧れても、自分がそうなりたいと思ったことは1度もありません。
ただ、素晴らしい人達に会って、どんどん学んで、どんどん吸収していきたい、といつもひたすら願うのであります。
来年の抱負には、それを1つ追加します。
posted by Heshbonit at 22:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

ソロゴリ

子供の時、何の習い事をしていましたか?

私、小学校1年の時に習字を始め、小学校3年で珠算を始めました。
習字は小6まで、珠算は小5まで続けました。

が、どちらもホントに大っ嫌いだった。
習い始めのキッカケは、自分の意思じゃなく、親が「読み書きソロバンはやっておいたほうがいい」ということでやらされただけだったし。

文字を書くのは嫌いじゃない。硬筆は、上手い部類じゃないけれど、人前で書くのが恥ずかしいっていうほどではなく、そこそこ人並みっていうレベルだった。
あ、今はもうダメ。ヘブ語はともかく、日本語は全然書けないです。

でも、習字っていうのは、文字ってよか、「芸術」のエリアでしょ。
筆運びっていうの、あれが出来ない。頭の中では文字のイメージがあっても、筆になると出来ない。いくらやっても、思うようには描けないのです。
習字教室は近所の公団住宅の一室で、まぁ、遊びに行っていたようなもの。今考えると、先生は私のことを、もてあましていたような気がします。母には「行っている」ということにして、1ヶ月サボったりもしました。

珠算は・・・。
近所の神社の中にある、強烈にスパルタな珠算塾。
出来ない生徒に対する体罰なんて当たり前で、8時頃まで残されたりもする。、今の常識では考えられないような塾。

ソロゴリってのは、いくつかあった体罰の1つ。

「頭を、ソロバンでゴリっと擦る」

痛いよ〜。髪の毛がソロバンに絡まるし。

それでも通った。最終的には三級を終えて、準二級でストップ。
ってか、もうそれ以上やりたくなくて。
体罰を受けるのがイヤだったわけじゃない。体罰に関しては、そんなもんだと思っていた。親は、「殴られないように練習しなさい」っていう考えだったし。
あ、誤解のないように。Mっ気は全くないです。どっちか選べって言われたら、何の迷いもなく鞭を取ります。(一体、何の話ですか?)
そうじゃなく(笑)、珠算が自分に合っていないことが苦痛だったから。
暗算だって、最早きれいに忘れてしまった。二桁ですら怪しい。

その後、計算実務っていう検定は、専門学校で1級まで取りました(電卓使用)。
計算は嫌いじゃないんです。電卓は左右どちらでも鬼の速さ。
つまりただ単に、「珠算」というツールがイヤだったんです。

その後、中学に入ってから、米軍ベースの近くにある英会話教室に通ったりもしましたが、まぁ、こっちは完全に遊びでしたね。何の糧にもなってない。


今日、簿記教室でも、「なんで外国人がこんなところで簿記を・・・」って聞かれました。くどくどと説明するまでもありません。

「私にはそれしかできないから」

簿記をやるようになったのは、前にも書きましたが、高校時代に思いつきで。
でも結局、これが一番合っているみたい。
ってかもう、頭の中が、すべてのものを「借方・貸方」で理解をする構造になってしまった私が、簿記を離れることは不可能なのです。

どういう分野にも言えると思うんですが、自分の中でモノを理解するための「基本的な何か」が確立されると、全てそれで考えるんじゃないだろうか。
例えば、芸術的センスがある人だと一般事務をしてもその感覚が反映されるし、理系の人は物事を理論的に組み立てて考えるし、接客サービスで鍛えた人はどこに行っても気配りが上手...、というような。
つまり、この私から経理を抜いたら、何も残らない。
それすなわち、「考えるな」って言うようなもの。

ただし、簿記の試験っていうのは、経理実務とはこれまた全く別なんですけれど、パズルを解くようなものです。こうして通っているのは、私にとっては、「言語」というよりも「暗号」でしかないヘブ語で、簿記というパズルを解く方法を習う、ってな気持ち。
そう、習い事感覚。資格取得の勉強!っていう気持ちは非常に薄い。

懐かしいな、珠算塾。
先生は引退しただろうけど、まだ神社でやってるんだろうか。
posted by Heshbonit at 23:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月17日

お土産文化

何度も書いてきましたが、添乗員をしていました。今から10年も昔、青春だった時代の話ですけど。
添乗員って言うと、海外添乗を想像するだろうけど、私は海外よりも国内添乗の方が好きで、海外添乗に行った回数は記憶にある(思い出せる)程度です。

国内ツアー、簡単そうですがそうでもありません。
日本語が通じちゃいますから嘘をつけないし、カラオケ宴会の司会は当然だし、お客のセクハラなんて本当に日常的だし、夜はドライバーの酒に付き合わなくちゃいけないし、それはそれはもう、すごい世界なわけです。

国内ツアーの楽しみって言ったら、お土産。
私が買うんじゃなくて、買わせる方。
どこに行ったら何が美味しいとか、そしてそれは乗務員と添乗員にとっておいしい(リベート収入)とか、いろいろとあるわけです。

さて。
北海道の「白い恋人」が賞味期限改ざんをしていたそうで。
調べたら、11年前からやっていたと。

なるほどねー。11年前って言ったら、私が添乗員を辞めた時期。
不景気でツアーがどんどん減っていき、日給制で働いていたために、「これじゃ、生計を立てられない」ってことで辞めたんです。その時期ですよ。

お土産って、大したことがないものが多い。
「白い恋人」だってそうです。
「だからなんなの?」っていうレベルですよ。

そんなこと言ったら、温泉饅頭だって「だからなんなの?」なんですけど、温泉饅頭っていうのは、どこに行っても定番なんです。
ってか、温泉饅頭は、どこに行っても「茶色い皮に餡子」だから受けるのです。別の温泉饅頭が出来てもまず売れません。

北海道を悪く言うわけじゃないけど、あまり添乗員として面白みがなかった。
どこに行っても添乗員が粗末に扱われる、と言いますか、なんていうんだろ、ホテルでもお土産屋でも、「アンタ、どうせタダで乗って来たんでしょ?」っていう、ロコツな態度を取られるんです。
他社の添乗員5人(全員女性ですけど)と6畳一間に相部屋にされることも日常茶飯事。布団が足りないからと何回頼みに行っても放ったらかしだったこともあったり、もう、最悪でしたね。
他の県でも、「どうしても部屋が取れなくて・・・」と相部屋にされることはありますが2人まででした。ま、酷い時は広い宴会場とか(怖いよ、これ)、果ては布団部屋みたいな所に寝たこともあります。でもどこも「申し訳ないですが満室で・・・」という一言(+帰りにお土産)がありました。
でも、北海道は初めから大部屋に全員相部屋。「寝る場所があるだけありがたいと思え」って感じがミエミエ。バスガイドさんも、いい人もいるんだろうけれど、やっぱり態度が冷たい。

それと対極だったのは沖縄。
そんなにしていただかなくても・・・ってこっちが恐縮するくらいの厚待遇。
沖縄のバスガイドさんは、ホントに優しい。ホテルやお土産店の人も、申し訳ないくらい、腰が低くて親切で、いい。
そうなったら、私だって積極的に売りに売りますよ。気分サイコーですから。
たとえ、リベートが会社に持っていかれちゃう店でも、「お客様、じゃんじゃん買いましょう! これ、美味しいですよ。あとね、これもすごく美味しいんです。この店、お得なんですよー!」って気分になってきます。

ま、そんな元添乗員のボヤキはともかく、ここから本題。


「旅行に行ってお土産を買う」って、日本の偉大な文化です。

そりゃ、リベート収入をどうのこうのと言っていた添乗員にそういうことを言う権利はないって言われるかもしれませんけど、日本人くらいじゃないでしょうか。近距離の1泊温泉に行ったくらいで、いやそれこそ日帰りの花見ツアーに行った程度でも、わざわざご近所や職場の同僚にお土産を買っていくのって。
ちょっと世話になった人に、500円くらいのお漬物やお菓子を買って帰る。職場の人に1つずつお土産をおすそ分けする。それが当たり前なんですよね。


ヘブ語で、「エズラット・ハシェム」という言葉があります。
直訳すると「神の助けで」。何かラッキーなことがあったりしたら、「エズラット・ハシェム」とつけます。
以前、サラレと話をしている時、彼女に、「日本語では、そういう時になんと言うか?」と言われました。

「お蔭様で」

もちろん、それぞれが信じる超上的な何かの助けであるのかもしれない。
でも、周りの人全てが、それぞれを支えあっているのは確かです。

「水は天の恵み」なんだけれど、水道施設を管理する人や水道管を修理する人がいて、そして水道のパイプや水道栓を作る会社があるから、私達はいつでも水を使うことが出来ます。水があるというだけでは便利な生活はできません。
家を空ける時、隣り近所やマンションの管理人に一声かけて外出する。頼まれたほうは何をするわけではなくても、ほんの少しは気を使います。
会社を休んで旅行に行っている間、誰かが代わりをしてる。でも完全に代理が務まるわけではないので、周囲は少し不便するかもしれない。
見える人もいれば、見えない人もいる。全員にありがとうと言い切れない。
だから日本人は、全ての人の「陰」に感謝するのです。

お土産というのは、「見える陰」に「留守を守ってくださってありがとうございました。楽しく過ごしてまいりました」とお礼をすることです。
賞味期限が切れたお土産なんて、「お陰様」に失礼ではないですか。

もしも、「隣りの奥さんがお土産でくれたお菓子を食べたらお腹を壊した」となったら、ご近所付き合いにヒビが入ります。ひどいですよね。


添乗員時代、私だってヤミクモにお土産を売っていたわけじゃない。
日本国中あちこち行ってますから、お土産の袋を見れば、それがどんなお土産かが分かります。
特に高速道路のSAや、大型ドライブインに置いている商品で、どこでも売っていて、シールだけが「ご当地名物!」になっているお菓子や海産物。
旅行会社で紹介する以上、そういうものは絶対に勧めません。ツアー行程で案内するのは、絶対にそこでしか買えない正真正銘の名物を売る店です。

クッキーにしてもお饅頭にしても干物にしても漬物にしても、スーパーで買ったら半額以下です。いくらそこでしか買えない有名な名産品とは言っても、原価計算をしたら一目瞭然。誰だってそれが割高なのは分かっています。
それでもわざわざ化粧箱に入って「ご当地名物」として売っているんですから、買う側はその「付加価値」を信じているわけですよ。
ちゃんと作られているだろう。美味しいだろう。珍しいと喜んでもらえるだろう。

考えてもみてください。旅行に行って、お土産を買って帰る「お蔭様」がいるということは、とても幸せなことなのです。
そんな誰かがいないというのは、つまり帰っても、楽しかった旅行の話を聴いてくれる人がいないってことです。とっても寂しいですよ。

白い恋人、継続する気なら、猛省してほしい。
  
posted by Heshbonit at 16:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月09日

清く正しく・・・

ペサハ最終日の休日。
午後からちょっとドライブしてC市のショッピングセンターに。
以前から探していたドレッシング瓶をようやく発見。シャレたものを探すのに本当に苦労する国です。


さて。
日本では選挙があったんですね。

新聞サイトを見たら、私の生まれ育った市から県議に立候補して当選した男性が、同じ高校の同級生でした。
一時帰国した時に、高校時代の親友から話は聞いていたけれど、同じクラスになったこともないし(同じクラスの人でもほとんど記憶にないが・・・)、「へぇ〜、そんな人もいるんだ」くらいにしか思わなかったけれど。
実際に選挙に出て当選して・・・なんて聞くと、すごいなぁ、と。


選挙って、すごいですからね、ウラが。

これまた昔々のことですが、コンパニオン派遣の会社で、非常勤(派遣会社からの紹介)の経理をしていた時の話です。

コンパニオン派遣なんて、要は水商売。そこの経理の仕事をしていた時は、いろんなコトを見、いろんなモノを処理しました。
その手の派遣会社ですから、選挙となるとウグイスの派遣もあれば、街頭演説の時に横に立つ若い女性を派遣するっていうのもあります。
そして当然ながら、いわゆる“根回し宴会”の数もすごい。「キレイドコロをお願いします」なんていうのがバンバン入ってくるんですよ。


市長選の時、私もほぼ強制的に参加させられました。私は家族ぐるみの支持政党があるため選挙関係の仕事は避けたかったのですが、市長は無党派で、支持政党の“公認”も受けた候補だから、ま、いっか、と。
強制的というのは、その選挙事務所が、「コンパニオンは学生やフリーターが多くて、事務処理やら電話対応に向かない。短期でそういうことが出来る若い女性はいないの?」と言い、それを聞いた途端、社長が、「あ、それなら、うちの経理の人、送るわ」と。
・・・社長、私は本業の添乗員の傍らで非常勤の経理をしていて、ついでに早朝は近所のコンビニでも働いていますから、その上に選挙事務所の事務手伝いなんて、かなり厳しいんですけれど・・・。
・・・とは言ったものの、安い添乗日給では厳しいからと水商売の経理事務の非常勤やらコンビニバイトをしていた私は、お金には勝てなかった。


市長候補の事務所の事務補助という名目でいろいろしましたが、手が空くと、地域ごとに電話アンケートなるものをしたことがあります。
その市長候補が、大手新聞社の地元局長と昵懇だそうで、
「○○新聞のアンケートです。次の市長選にはどの候補に当選しますか?」
・・・という電話をするのです。
地域毎に電話を掛けた結果に応じて、「A区は候補の名前がまだ知れ渡っていないから、選挙カーを送ろう」「B区はほぼ万全だから、次はC区に力を入れよう」とか、そういう動向を調べるわけ。お分かりのように、新聞とは無縁です(爆)。
お手伝いをした日は、当然ながら豪華な夕食を食べさせてもらえ(毎日寿司屋から大量の寿司を取ったり、いろんな出前があった)、仕事が終わった後の帰宅は、自宅までタクシー(電車が普通に走っている時間ですけど・・・)。


その市長、見事に当選しましたが、当選後がまた凄かった!
『新市長歓迎会』と称しての宴会やパーティーが頻繁で、そのたびに私が働いている会社のコンパニオンを指名してくるんですよ。
あまり頻繁に入るから、「誰か重複してオーダーを聞いちゃったんじゃないの?」って思ったくらい。でもよくよく読むと、「○○市△△局」「○○市△△一課」「△△二課」とちょっとずつ違うんです。
それぞれの局やら所やら課で働いている公務員さんが(下っ端の方の人は来ませんが)、新市長やその支援者と仲良くする会ってこと。
そういった、市長のお披露目やら挨拶やら何やらかんやらは延々と続きました。もう、本当に凄かった・・・。

当選から1ヵ月後、ホテルのパーティールームを借り切っての盛大な新市長祝賀会がありまして、「事務所のお手伝いをしてくれたあの女性も是非・・・」と鈍臭い私も指名を受け、キレイドコロとは程遠いんですが、黒のロングスカートを着用して髪をアップにし、無理矢理おたふくコンパニオンで参加しました。

そしてその一週間後、再び同じホテルの同じパーティールームで全く同じ名前の祝賀会。再び、おたふくも呼ばれました。でも行ってみたら、みんな同じ顔ぶれで同じような席に座って、料理も同じ。え? これって、デジャヴ?
後でそれとなく聞いたら、「前回の歓迎会には、△△所の○○課長が仕事で来られなかったから、改めてやり直しをしたんだ」と。

それらのコンパニオン派遣代の請求書発行は、私の仕事。
全ての請求書の発行先は、もちろん、市ですよ。

世間に疎かった私は、これでようやく、何ゆえにコンパニオン派遣会社の社長が市長選に力を入れ、経理非常勤の私までを選挙事務所に送り込んだのかが、よーく分かりました。


確かに、手弁当で地道に清く正しくお金がかからない手作りの選挙をする人も、たくさんいると思います。
でも日本の社会構造には、「キレイゴトでは通らない世界」というものが、既に出来てしまっているのは、紛れもない事実です。
当選した後、市民の税金で宴会をバンバンやっちゃう、そんなもんなんですよ。
そして、当選させてくれたいろんな人達のために、いろんな便宜を図る。・・・つまり私がいたそのコンパニオン派遣会社だって、いろいろと恩恵があり、その後々の関係もいろいろ続く、と。

第一、市やら県だけじゃなく、ありとあらゆる公私の組織団体も(ここでは名前は挙げないけれども)、そういう風に動いている。
だから1人がどうこう言ったところで、それは「単なる世間知らず」。
そうなると、清く正しく当選した議員も、「ま、こんなもんか。仕方ないよな・・・」と、“必要悪”に妥協しながら、宴席に座るんじゃないかな。

たとえば上記で挙げたパーティーに参加するのは各役所に働く公務員。
それに対して、新しく入った議員や市長が、
「税金の無駄遣いパーティーや宴会を廃止しましょう。なんですか、食事だけならともかく、若いコンパニオンまで呼んで。これは市民の皆さんから預かっている大切な税金なんですよ。これでは市民の皆さんに申し訳がない・・・」
・・・なんて、本当のコトを言ったら、総スカン受けちゃうからね。
それどころか、下手な罪を着せられて、「○○議員、汚職で更迭!」と吊るし上げられて、せっかく苦労して勝ち取った席を失うのが関の山。
だったらおとなしく、美味しい食事を堪能して、キレイな若い姐サンに囲まれて、お酒を飲みましょうよ。


そう、そうやってお金を使えば、宴会場だって儲かります。
そのたびにたくさんのお酒を飲むから、酒屋も儲かります。
選挙事務所が毎日のように寿司を取れば、寿司屋が儲かります。
そしてタクシーで帰宅すると、タクシー会社も儲かります。
気が付かないうちに、自分が働く会社も何らかの恩恵を受けているでしょう。
お金はこうやって、きれいも汚いもなく、ひたすらぐるぐる社会を回るのです。


まぁ、昔話です。どこにも吐き出す場所がこれまでなかったので、一気に思い出してつづって見ました。


神奈川の○○市の市長、っていうだけでもこれだけのことをするんだから、これが県やら都やら、さては国となったら、どれだけのお金がどう動くんでしょうね。

  
posted by Heshbonit at 19:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

よい子の花道

休日。

ご近所は想像を絶するほどうるさいですが(しかもバーベキューで煙いし)、窓をすっかり閉め切って、家の中でヘッドフォンで音楽を聴きながらネットで遊んでいます。


さて。
今日は4月3日。
私は数字に関して異常な記憶力を持っていて、何でもかんでも覚えてしまう性質がありまして、それでも「その日・その数字が何を表すか?」は忘れてしまうのですが、この「4月3日」は覚えています。
小学校1年生で、初めて近所の習字教室に通い始めた日であり、小学校3年生で、初めて近所の珠算教室に通い始めた日でもあるのです。
私が小学生の時は、進学のための学習塾に通う人なんてほとんどいなかったな。クラスに2人だけ通っている人がいたような記憶がなんとなくある程度です。
私が行った習い事はそのくらい。中学の時もいわゆる進学塾には行かず、分からない所は兄に教えてもらっていました。

私が塾に行かなかった理由ですか?

私が生まれ育った神奈川には、『神奈川方式』といわれる他県には類を見ない制度がありました。今は廃止されたようですが。
県外の人はまず知らないだろうな。

その代表が、「アチーブメントテスト(ア・テスト)

中学2年の3学期、全県一斉に、学校で習う全9教科(国・数・英・社・理・音・美・体・技家)に関しての筆記テストが実施されます。
テレビ神奈川(TVK)では、「ア・テスト直前講座」とか、試験が終わった後には、「ア・テスト速報!」なんていう番組がありました。

そのテストの結果を基に、中学3年の時の担任は、進むべき県立高校を指導します。つまり、県立高校受験が既に中学2年の冬で始まっているようなもの。中2の夏休みが終わると、皆、すごい勢いで勉強を始めます(試験が9教科ってすごいですよね)。
実際、各中学校の職員室の中でも、「各県立高校への人数割り当て」があるみたいですね。だから、ムリして上のランクの県立高校への進学を強く望む生徒がいると、その学年の担任先生同士で、「そうすると、どの生徒のランクを下げさせようか・・・」なんて、頭数を揃えたりするようでした。
ここでムリしてランクを上げた私は、
高校入学後にとんでもない奈落に落ち、
転落人生を始めたのでありました。

問題は中学3年で転校してきた人。県立に入るにはア・テストを受けてないんだから、その点数がないと基準が難しくなります。そうすると、担任は本人のランクよりも低い県立高校を進めざるを得ないわけ。

他県の人にしたら、「神奈川県って大変だなぁ」なんて思うかもしれませんが、実際にソレを通過してきた私にしたら、これはなかなか良い制度なのです。

ア・テストの結果がよくて、本人の学力からして無難な県立高校に進もうという人は、そんなに一生懸命受験勉強をしなくても大丈夫。
なぜなら県立高校の受験においては、
受験日の試験結果内申点&ア・テストの結果
で、合否が決められるから!
これ、すごく気がラクですよ。受験当日に具合が悪くなってテストの結果が悪くても、『内申&ア・テスト』がガッチリ支えてくれるんですから。それでも、受験科目は5科目だから結構大変ですが。
だから私の場合、受験高校のランクは上げたけれど、今さら進学塾に通い詰めてまで受験勉強をする必要はなかったのです。

高校に入ってから担任が、「落ちた生徒は1人もいない」と言いました。受験に来た生徒全員はテストの成績に拘らず、願書を出した時点で全員合格が決まっていたそうです。出願人数と入学人数の差は、「本人の辞退」。
たぶん、どこもそんなではないでしょうか・・・。


そんなわけですから、当時の神奈川県に於いては、クラスの8割以上が県立高校に進学し、私立高校に行く人なんてホントに少なかった。
「え、どうして県立行かないの?」なんて理由は聞かないけれどね。大学までエスカレーターだから私立高校を受験する人だって多いだろうし。親が私立を勧める人も多いでしょうから。
実際、学区圏外に出てしまえば、「よほど優秀で東大合格率が高い県立高校」でない限り、それがどの位のランクか?なんて誰も知らない。
そうなると、「そこそこのランクでも、知名度が高い私立高校」の方が、後々の人生においては優位だったりするでしょ。


日本で生活していたイスラエル人の友人が、子供を連れてイスラエルに帰ってきました。子供と言っても、もう高校生。

「高校のうちに大学を決めて、その後どこに就職して将来どう生きていくかを、17-8歳で全て決めなければならない状況に疲れた」

イスラエルだったら、高校が終わったら兵役に行くのは確かに決まってはいるけれど、その後どうするかは自分で決めて、大学に行くなら行けばいいし、数年遊んでから大学に行くことも可能。
日本みたいに、「大学は18歳に入るのが普通。浪人しても2年まで。大学は4年で卒業すること。(特別な事情を除いて)留年したら就職に大影響。就職浪人するともっと大変で・・・」なんていう常識はありません。

超有名企業やエリート医師界・エリート法曹界を除いたら、イスラエルの一般レベルに於いては出身大学はそれほど重要ではありません。学位を持っているかどうかは重要ですが、専門学校でも学位は取れるし、BAはH大学、MAはT大学というのも普通。複数の大学で複数のMAを取る人もいます。
第一、就職時期だって人それぞれですから、日本みたいに、「大学を出たらすぐに就職。全国一斉に4月に入社式」なんていうのもありません。
履歴書の学歴職歴に多少ブランクがあってもハンデにならない。

それだけに、高校生のうちに将来をどうするか?なんて分かるわけないですよね。もちろん漠然と「こうなりたい」という希望や夢はあっても、今のうちからそれに向けて真剣に取り組む高校生も親もいないと思う。


でも日本において、『親として基盤となる道を作る』というのは必要なこと。

私の時代は、大学進学率なんて3割くらいだったけれど、今は半数以上が大学に進む「大学全入」で、「大学卒です」なんていうのは当たり前な世の中。
だとしたら、やれそうなうちに勉強をして、今のうちから差を付けておいたほうが、後から苦労するのに比べたらラクなわけでしょう。

そりゃ世の中には、「家は貧しく丁稚奉公から始まった・・・」なんていう松下さんもいるのだけれど、そういう人は稀だから面白いのであって、実際に成功している人っていうのは、家柄もよろしく元から裕福で経済的苦労をせずに大学出て周りには利用できるコネがたくさんあって・・・、っていうのが普通。
で、そういう人だから、多少の苦労はあっても、周りのコネやら自分の経験値やらなんやらで新しい道も開拓できるわけでしょ。

日本が不況だとはいいながらも、日本の1人当たりGDPは、EU加盟全国の1人当たりGDPよりも遥かに上。街にはモノが溢れ、高いビルが立ち並び、技術はどんどんと進歩し続けている。

背の高いマンションや郊外の一戸建てに住むためには、“それ相応の会社”に勤めていないとローンが組めない。その“それ相応の会社”に勤めるには、“それ相応の大学”を出ないと無理。そのためには、それ相応の高校、それ相応の中学・・・。

「人生はお金じゃない」なんて、お金がある人が言う言葉。
今の世の中では、とりあえずお金がないと何も出来ない。病気になっても払う入院代がないのでは、病気になってもおちおち寝ていられない。
逆に病気がちでも十分なお金があれば、無職でも医療費の心配はない。

生きていくためにお金を貯めるには、誰もが“それ相応の努力”をしなくちゃいけないんだけれど、21世紀の日本においては、残念ながら松下さんのように、「丁稚奉公からスタート」ではムリなのです。
となるとやはり、人生の基盤となる『学歴作りの指導と支援』をし、そのための道を作ってやるのは、親の務めなのでしょう。

大人になってから、前人未踏のジャングルを1人でズタズタになりながら這いつくばって進むよりも、子供のうちから長い長い上り坂を、両親が後ろから押したり手を引っ張ったりしながら一緒に歩いていく、と。


なるほどね・・・。
こういう『格差の話』を聞けば聞くほど、私は、「もはや、日本に帰るタイミングを完全に失った・・・」、と痛感するのであります。


ジャングル歓迎。ズタズタ最高。イ国のド田舎上等。
とりあえず仕事はある。村の将来は分からないけれど。
なに。村が危うくなったら、手に職の経理でなんとか生きていける、
こちとら、学歴なんか関係ない、職人だからさ。

・・・はず。・・・だったらいいなぁ。・・・と思いたい。



※ついでに今日は、ブログに来てくれるハマダ嬢の誕生日でもある。

4月3日はハマダ日

・・・ワンコ、名前くらいきちんと覚えようね。恥ずかしいから。
  
posted by Heshbonit at 15:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

いちばん古い記憶

我が敬愛するN兄の処で、「いちばん古い記憶」という話題がありました。
そんな処に書き捨てるのは、とてももったいないので(って、敬愛しているんじゃないのか?)、何も書くことがない休日のブログネタといたします。
・・・毎日更新ってホントに話題探しが大変なんです。


私の前髪の生え際に、長さ4センチX幅7ミリほどの傷があります。
いわゆる「ハゲ状態」で、髪の毛が生えてきません。
あ、忘れちゃいけない。1番深い所で、1.5ミリ。
深さがあるということは、頭蓋骨が陥没してるってこと。


3歳になったばかりの頃・・・。
実家のそばの緑道(歩道)を、母親と手を繋いで散歩していました。
今の時代なら、“バリアフリー”で、世の中のありとあらゆる段差がなくなっていますが、30年以上前の遥か昔は、“バリアフル”だったので、歩道の途中に鉄板で作られている段差がありまして。

その鉄板からジャンプし、頭が大きい私は、見事に一番重たい所から着地。
あ、つまり着地に失敗しまして、頭を切りました。

私が覚えているのは、両手を空にあげて、「仮面ライダー!」と叫んでから、ジャンプしたことです。
残念ながら、母は覚えていません。繋いだ手を私が急に離して転んだ、と。


その後、母は血だらけで泣き叫ぶ私を抱きかかえ、たまたま通りかかったお米屋さんの配達車の人が、「この車で早く病院へ」と親切に言うので乗せてもらい、病院に行った、と。

私が覚えているのは、その車に乗って車の天井を見上げていたことです。
母は必死だったため、何も覚えていません。


そして病院に到着。すぐに先生に診てもらい、縫合してもらったらしい。

この辺は当然ながら、もう何も覚えていませんが・・・。


母は「傷にならないようにして下さい」と言い、先生も「大丈夫ですよ」と言ったはずらしいのですが、残念ながら、ものすごーくハッキリと分かる傷になっています。頭蓋骨が凹んでいるし。

おかげで前髪を上げておでこを出すスタイルが絶対に出来ず、この年になっても、いまだに小学生のように前髪があるヘアスタイルです。
よーく見れば、ハゲ状態が透けて見えますが、そこまでじっと見る人はいないし、たとえ見えたとしても、「生え際、大きなハゲがあるね」とは誰も言いませんから。


その次に古い記憶といったら、なんだろう。
断片的にアレコレあるような気もしますが、それ以降はある程度は写真にも残っているし、末っ子なだけに、兄2人が「お前、子供の時こうだったよな」なんて言ったりもしますから、かなり「周りの発言によって作られた記憶」なのかもしれません。
でも、「仮面ライダー!」は絶対覚えてます。


物覚えが異常にいいほうで、いいコトも悪いコトも忘れることが出来ない粘着質ですから、消したい記憶にさいなまれてかなり大変です。
あまり記憶がいいと気持ち悪く思われるため、「あー、そうだった?」なんて忘れているフリはしますが、何のことはない、しっかり覚えています。こういう性質も困りもの。


アイススケートの女子フィギュアFS。
浅田真央、すげぇ・・・とただただビックリ。
あと、何ゆえに自信タップリなのか、エミリーヒューズもすごい。

世界のフィギュア選手にユダヤ系が多いのは、
やはり、経済的な問題でしょうか・・・。
posted by Heshbonit at 17:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月04日

文系アタマ

[今日の天気:晴れ

出勤。
子供のお祭りだということで、大人もなにやらヤル気のないムード。基本的に学校関係は休みですが、便乗して休む企業も多く、銀行も休みです。どうせ今日は世界的に日曜だから、外国為替も株も世界相場が閉まっているため、「だったらいいじゃん、イスラエルも」みたいな感じなのでしょうか。

プリムは雨が降るのが恒例のようですが、今年はとってもよい天気。
暖かい気候に伴ってとてもダラダラした雰囲気。


昨日からヒエログリフの本を開いています。
とはいえ、なぜかなんのためか必死に勉強した文法なんて覚えちゃいません。すべてがとても目新しく見えます。
ヒエログリフは書けません。あれを書くには絵の才能が必要なのですが、私にはそういうセンスが全くありません。鷲(A)も鶉(W)も梟(M)も私が書いたら全部同じです。
ホントは楔形文字のほうが興味があるんですが、いい本がないのです。


考えてみたら、好きなんですよ、文字が。
ブログをこうして毎日続けていられるのも、基本的に文字が好きだからです。

子供の時は漢字が大好きで、クラスの漢字テストでは絶対に3位以内でした。

中学に入ってからは英語が好きになって、やっぱりテストではいつも上位。コメ軍住宅内に英会話レッスンに通ったりもしていました。

高校でも一生懸命やろうと思ったんですけど、周りのレベルが高すぎるのももちろん、受験のために文法と単語を覚えるばかりの英語がとにかくイヤで、英語熱が冷める。ここでしばらく英語にブランクが出来ます。

専門学校に進んでからは、電車の通学時間を利用して(高校は自転車通学)、強烈な読書熱が発熱。「1年百冊」として日本と世界の名作を読み漁る。

卒業後、税理士を挫折してから、添乗員に転職し、ここで歴史の勉強から転じて中東の考古学に目覚め、狂ったように勉強する。
あ、仕事上必要なので英語の勉強もしましたが、「添乗員たるもの、英語だけではなく、仏or西or伊語のどれかをやるべき」と上司に言われ、西語もかじりました。かじっただけで覚えていません。

添乗員をやめた後も、英語はその前からやっていた米CPAの勉強をしながら続けましたが、趣味の考古学も継続。
そのうち、『語源学』に興味が集中。奥が深いんですよ、これが。
そして、「死んだ古代語よりも復活した古代語のほうが面白いかも」とヘブライ語→イスラエルと興味が推移し、退職したついでにイスラエルに来てしまい、何がどこでどう狂ったか、現在に至る・・・。

考えてみたら、漢字クロスワードがすっごく好きだったりもするし、古文や漢文を読むのもとても大好き。
マンガやアニメは、心の底から軽蔑しています。
そういう風に生まれているみたいです。


とヒマに任せてとりとめのないことをダラダラ書きましたが、深い意味はありません。サラリと流してください。


ちなみに、理数系アタマは全くありません。
高校の時、
数学の先生が、「お前、よくこれでうちの高校に入れたな」
物理の先生は、「国立に行かないなら理数系なんて関係ないだろう。テストには名前だけ書いとけばいい。赤点はつけないから」
という、とても素晴らしいお褒めの言葉を頂戴しておりました。
お墨付きで理数系がダメだったんです。
数字は覚えちゃうんですけどね。ま、それとこれとは違います。
 
posted by Heshbonit at 20:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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