2010年04月29日

哀れな女−本当の「ギリシャ悲劇」

多くの国の言語で、「国」は女性名詞。
今日はひまつぶしに、こんな話でも。


名家に生まれた少女ギリシャ。
子供の頃からギリシャはとても可憐で、しなやかな思想を持ち、生き生きと暮らしていた。青い空と海に囲まれた穏やかな環境で育った美しい乙女は、思想哲学・医学・美術・建築・演劇・文学そしてスポーツに至るまで、世界の人々を魅了する術を着々と身につけていった。
将来は地上を制覇する女帝になると期待された。誰もがそう思った。

395年、20歳になったギリシャは、ビザンティン(東ローマ帝国)と結婚。
逞しく優しい夫は、賢くて美しいギリシャを愛で、彼女の持つあらゆる財産を積極的に理解した。その哲学と叡智と芸術の全てはビザンティンの持つ才能と融合そして昇華し、「ビザンティン文化」として世界に広まる。これが後々のルネサンスに大きく寄与することになる。
また、戒律の厳しいカソリックとは違って、イスラム社会を併合する正教徒であったから、経済活動なへどの締め付けもなく、商工業も活発であった。富と名誉を一気に得た彼女は、華やかな結婚生活を楽しんだ。

1453年、コンスタンチノープル陥落、ビザンティンがこの世を去る。
30歳の未亡人は、夫の宿敵オスマン(帝国)に娶られた。
思想も宗教も違う新しい夫オスマンは、前夫ビザンティンのようなスマートな文化人ではなかったが、非常に野心家で、かつ経済観念には長けていた。
運命とは面白いもので、オスマンはすぐに、美しき妻ギリシャの持つ資産を最大限に活用できる、とても有能でかつ信用できる経営集団を迎え入れることになる。

テッサロニキ(サロニカ)。
ビザンチン帝国時代の第二の都市、東西貿易の要港。
寛容なオスマンが、このギリシャの港町にイベリア半島から逃れてきたユダヤ人の受け入れを認めると、100年もしないうちにユダヤ人口が街の半数以上を占めるほどにまで膨れ上がった。
結果、ユダヤ人はテッサロニキを一大国際都市に発展させることになる。

海上運送最盛期の大航海時代。
喜望峰ルートが発見されても、地中海が重要航路であることは変わらない。
海運といえば、保険、手形割引決裁、そして倉庫・流通。
テッサロニキには、保険・銀行・通商などのユダヤ商人の店が軒を連ねた。
ここではロスチャイルド家のような一大ユダヤ富豪こそ輩出しなかったが、逆に返せばそれは、この街全体が団結・連携しており、互いを保護して利益を分かち合う組織が形成されていたことの証明といえる。

ところが。
40歳を超えたギリシャは、オスマンとの行く末が不安になった。今の夫には、ビザンティンとの壮絶な闘いの末にギリシャを奪った時の野心溢れる面影もない。
欧州は離婚ブーム。自由だ独立だという気運がみなぎっている。
私も離婚したい。零落した老オスマンとの生活に終止符を打ちたい。
泥沼の争いの後、ギリシャは晴れてオスマンと離婚。時は1832年。

脱線するが、その後のユダヤ人に関してざっと書いておく。
1914年、バルカン半島から勃発した第一次世界大戦の戦火で大損害を受けた上、押し寄せる反ユダヤ主義に耐え切れなくなった一部のユダヤ人はギリシャを去る。南北アメリカ大陸、あるいは、約束の地へ。そのままテッサロニキに残ったユダヤ人に壮絶な悲劇が待っていたことを説明する必要はないだろう。
余談だが、イスラエル四大銀行の一つ、バンク・ディスコント(Israel Discount Bank )は、テッサロニキ出身のユダヤ人によって1935年に創立された。社名の「Discount」は、お安くする方ではなく、手形割引がルーツであることは言うまでもない。

ではヒロイン、ギリシャがどうなったか。
第二次大戦中はナチスドイツによって支配され、終戦後は、ソ連のコミュニズムとアメリカのマーシャルという2人の男の板挟みで、心身ともに衰弱する。
結局、ソ連のコミュニズムが手を引いたが、戦争の傷跡と更年期障害で心身ともに疲れたギリシャは精神錯乱状態に陥り、ついには、右翼軍事政権という重篤なノイローゼに罹ってしまった。
ギリシャは泥まみれで地を這うような日々を送り続ける。アメリカはベトナムにぞっこん夢中で、ギリシャのことなど構うヒマもない。
これなら、ソ連の愛人になっていたほうがまだマシだったかもしれない...。

1973年、軍事政権崩壊。ノイローゼをようやく克服。
気が付けば、もう五十路。しかし、その姿は老婆のようである。
賢女だ美貌だと称えられ、地中海の妃として君臨した面影はない。
そんな零落した女が、三度目の結婚をする。
相手は実業家ユーロ。1981年、ギリシャは欧州共同体10番目の加盟国に。

「ギリシャ、お前を養うつもりは全くないからな」
3人目の夫は、自分に縋って生きる女を求めない。過去の夫のように彼女を愛するわけでもない。そして、彼女に利用出来るものがないことも分かっていた。
ユーロはただ、アメリカに勝ちたい一心だった。あるいは、欧州において名だたる歴史を持つ可哀想な寡婦を見捨てられなかったともいえよう。

過去2度の結婚で、財産と美貌を武器に権力を持つ男に養ってもらい、優秀な人間に経営を任せることで贅沢な生活をし続けた彼女が、あくせく慎ましく働いたり、自分で経営を考えることなんて今さら出来ない。
地理的条件を利用した海運と観光に頼る以外にこれといった産業のないギリシャの状況は、進歩も開発も発展もなく、時代の波に完全に乗り遅れた。
ソ連の愛人にならなかったからユーロと結婚できたというのに、実業家の夫という後ろ盾を得たことに安心したのか真面目に働きもせず、夫を連帯保証人にして片っ端から借金を始める始末だ。

ギリシャは自分の置かれた状況を理解できない。いや、したくなかった。
なぜなら彼女は、賞賛された少女時代や、過去二度の結婚で自分を認めた強い男の妃であり続けたという「栄光」を捨てることが出来ないからだ。
世界的にギリシャの姿といえば、天才的な少女時代と過去二度の結婚生活しか伝えられていない。今の彼女を知らない人は、「ギリシャってすごい国なんだね」と過去の栄光の部分だけを憧憬してしまう。そしてギリシャ自身も、そのイメージを切り売りしながら細々と生きている。

会計で言えば、「のれん」である。
二度の結婚(合併)で高く評価された、ギリシャの「のれん」。
減価償却できないこの無形固定資産は、窮地のギリシャに重くのしかかっている。だがそれと同時に、ギリシャも「のれん」に縋るしかない。彼女にとってそれは商売道具であり、華やかだった頃のプライドであり、愛してくれた男達との思い出なのだ。
価値の高い無形固定資産は、順調な経営下であってこそその価値を存分に発揮できるのであり、そうでなければいたずらにバランスシートを混乱させる。
かといって、「のれん」の減損処理の決断ほど辛いものはない。
どうすれば...。

昨年10月の政権交代で、ギリシャの粉飾決算が明るみに出た時、世界の誰もが、まさか一国が粉飾決算をするなんて、想像もしなかっただろう。
「え、ギリシャってそんなムチャクチャだったの?」と、世界史で出てくる才色兼備のギリシャしか知らない多くの人が、落ちぶれたその姿に驚いたに違いない。

もしもギリシャが、男に翻弄されることなく、あるいは、その男達を利用するほどにのし上がってでも生きていくだけの能力を身に着けていたら...。

いや、ギリシャには初めは天才的な才能があった。
一大文明を築き、あらゆる叡智を備えていた、あの少女時代。
世界はギリシャを求め、今なお、語り継がれているのだ。

しかし、次々と現れる男達がギリシャを愛すれば愛するほど、彼女は学ぶことを忘れ、その才能を伸ばすことなど考えなくなってしまったのだった。
    
posted by Heshbonit at 19:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。