2009年12月12日

戦争と平和信仰

最近は、桃太郎もカチカチ山も「皆、仲良く暮らしました」で終わるらしい。
征伐はよくない。殺すことも悪いことだ。
皆で話し合って仲良くなるのが一番だからだと。

ええ、そうです。ご尤も。
だけれど、大事なことが抜けています。

相手が「こちらと同等な感覚」を持っていることが大前提です。

オバマ大統領が、ノーベル平和賞を受賞してしまった。
「任期が終わってから判断して下さい」とでも言えば、ちょっとはカッコがついたかもしれないが、もちろん大統領という職務上、周囲の人間とと話し合った結果だろうからどうしようもないだろうし、それが自分に相応しくないということは重々承知の上のようですけど。

...The concept of a "just war" emerged, suggesting that war is justified only when certain conditions were met: if it is waged as a last resort or in self-defense; if the force used is proportional; and if, whenever possible, civilians are spared from violence.

そりゃ、そうだろうね。
自衛のための戦争は存在する。
一般人に「正当防衛」という手段が許されているのと同じように。
戦争は存在する。全ての戦争が、全ての暴力が、悪ではない。

2006年夏、レバノン戦争は、奴らが仕掛けてきた戦争だった。
国境から10kmのギリギリエリアに住む私は、24時間1ヶ月間、いつロケット砲が落ちてくるか分からない危険に晒された。話し合うことが出来ればいいが、外に出ているのは洗脳された小者ばかりで、指揮官らは強硬な地下室に潜り込んでいる。
そして世界は、仕掛けてきた奴らを全面的に支持している。

どうすればいいんでしょうか。 
自分の家が燃やされるかもしれないのに、自分の命が危険に晒される状況なのに、自分の大切な人達が殺されるかもしれないのに、非暴力を唱え、両手を広げられるバカはいないでしょう。
もしそれが出来ると言うのであれば、よほど世の中を知らない馬鹿者か、自殺志願者であると私は考える。

時として、腕力が必要なことはある。
撃ち込んでくる相手に対して、撃ち返すしかないことがある。
そして、これ以上撃ちこませないために、こちらが入り込む必要もある。
それが、自衛のための戦争である。

オバマがスピーチしたことは、全てがご尤もだ。
だが、ノーベル平和賞を受賞する人が言うべきではないことだった。

医者が「死んでも仕方ない患者がいる」と言うのと同じようなもの。
絶対に助からないのが分かっている患者に時間を費やすよりも、成功率が高い患者から助ける方が大事だ、と。誰が聞いてもそうだと思う。やむを得ないと思う。むしろそれはイイコトと評価すべきだと思う。
でも、それを口に出したら、ワルモノになる。
弁護士が言う。「時と場合によっては法を犯すことは仕方ない」
会計士が言う。「正直に全てを申告することは必ずしも得策ではない」
教育者が言う。「他の生徒に悪影響を及ぼす生徒を排除することも必要だ」

ああ、その全ては御尤もだ。
だが、世の中はお綺麗に出来ているから、本当のことを言っちゃいけない。
そういうことを言うと、噛み付く人がたくさんいるんだ。
だからその辺は、ウヤムヤに穏便にフワっとさせておけばいいのだ。

盲目的に平和を信じている【平和信仰】の人達は、戦争が許せない。
やみくもに、「平和平和戦争反対」と唱えることが彼らの信条なのだ。
そうさえすれば世の中は平和であり続けると信じているから。
彼らだって、「仕方のない戦争がある」ことは分かるはずだろうが、そうすると自らが信奉する【平和信仰】の教えに反することになるため、耳を塞ぎ、目を閉じ、思考回路を停止させる。
そして、戦後教育で叩き込まれた呪文を一心不乱に唱える。

平和ガ一番正シイ。戦争ハ悪イコトダ。暴力デハ何モ解決デキナイ

戦場に行くこともなく、ロケット砲が飛んでくる土地に来ることも住むこともなく、何も起きない所で「平和平和」と呪文を唱えることは誰にでも出来る。
マリファナを吸いながらイマジンを歌うことは、誰にでも出来る。

世の中には、四方を敵国に囲まれた国がある。
フェンスの向こうから、いつ何が来るか分からない国がある。
銃を持った兵士が街を歩いていることに安心を感じる国がある。
日常生活においても銃を携帯することが当たり前の国がある。
そんな国に生まれたら、武器の使い方を学ばなければならない。
それを拒否するなんて軽々しく言えたものではない。

...Still, we are at war, and I'm responsible for the deployment of thousands of young Americans to battle in a distant land.
Some will kill, and some will be killed.


いつ何が自分の平穏な毎日を破壊するか分からない生活を送ったことがない者が、砲弾音やサイレンを24時間聞きながら生活したことがない者が、ライフルの重みを知らない者が、そしてそういった者達の苦悩を知らない者が、どうやって平和を訴えることが出来るのだろうか。

それでも、そんなに【平和信仰】が正しいと信じきるならば、自分の親や配偶者や子供が命の危険に晒されて、目の前で自分の女が複数の男にレイプされ、あるいは、自分の耳や鼻が削がれ目がくり抜かれても、どうぞ決して逆らわず戦わず、「平和平和暴力反対話し合おう分かり合おう」と唱え続け、天からの助けのみを祈りながら、その命を、平和信仰に屠るがいい。

私は平和信仰の信者じゃないから、何度でも言う。

世の中には、戦争が存在する。その存在理由は多様である。
戦争は必要である。止むを得ない戦争が、止むを得ない暴力がある。

世の中は、お綺麗じゃない。
                                   
posted by Heshbonit at 18:00| 真面目なたわごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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