2009年03月07日

泡の名残り

事の起こりは先日、知人の携帯のカメラ機能をいじっていた時だった。
セルフで何枚か自分を撮ったがどれもこれもあまり映りが良くない。
携帯のカメラなんてこんなもんかと思って明るい所で撮ったりしたが、
やっぱりなんかものすごく写真映りがよくない。

そこで分かったのだ。
カメラが悪いんじゃなく、これが今の私の本当の姿なんだ。

毎日自分しか比較対照がない人里離れた山奥では、我ながらシワが増えたシミが増えたというピンポイントでは分かっても、他の人と比べたらどうか?というチェックが出来ない。
38歳は中年である、というのはしつこいくらい分かっていても、「老け込んでいる」ってことは自分しか映らない鏡では分からない。
っていうか気が付かないようにしているのかもしれない。

何かがおかしい。浮き上がっている。
何枚も撮ったオバサン顔を見つめながらようやく答えが到達した。
この髪だ。

Heshbonit 2006

どんな女子も、10代〜20代前半、大体流行に乗った髪型になるものである。
かつては、真理ちゃんカットだったり、百恵ちゃんカットだったり、サーファーカットだったり、聖子ちゃんカットだったり、Kyon2カットだったり、茶髪シャギーだったり、今はふわゆるだか巻き毛だかそんなのだったり、斜め前髪だったり、皆そういう風にするもの。
ってか、流行に乗り切れない人も、或いは流行に乗りたくない人も、美容院に行くとそんな風にされてしまうのだ。だから全面的に受け入れないにしても、ちょっとは流行っぽい感じになる。

私が10代後半〜20代前半、流行と言ったらロングのワンレンだった。
まっすぐに伸ばせない人は(当時はストパが限界)、ソバージュというパーマをかけたロング。そのどっちかとにかく流行っていた。卒業アルバムなんかそのどっちかの髪にした人がズラっと並んでいた。
私は中学2年までは校則に則ったショートにしたいたけど、2年の後半からダラダラと長く伸ばしはじめ、前髪を薄く下ろしていた。
私からしたら、一番手が掛からないというものもちろん、とにかくこの髪質・髪量ではこれしか出来ないからなのだが、あの当時は誰がどう見ても「流行に乗せられた髪型」だった。

そして時は残酷に過ぎ、あれから何十星霜。
シミもシワも増え、肌は荒れ果て、日差しと乾燥と引力に負けた。
元々怠惰な性格は加齢と共に治るどころか、さらに堕落。
しかし髪型だけは、未だに当時と全く同じである。

女子というものはいくつになっても、「自分が一番華やかだった頃」の流行・スタイルが一番いいと思うように出来ているらしい。
その次に来たものをトライする勇気はないから、自分の時代の髪型が一番いいと肯定する。だって、「若ぶっちゃって...」と笑われるのがオチだから。

今の私は、押入れ奥にあった昭和時代のヘアカタログの付録の顔くり抜きに、40目前のオバサンの顔を当てはめた、そのもの。
携帯で撮った写真を見て、我ながら呆れた。
バブルを未だに引きずっている痛いオバサン、だ。

つまり、似合ってないのだ。どう見てもどう考えても髪が浮いている。

40目前のオバサンが、パッサパサの髪でズルズルロング。
漆黒ぬばたま系ならまだ救いがあったが、色の揃わない天然茶髪...。。

すなわち
40目前のオバサンが、サーファーカット。
40目前のオバサンが、聖子ちゃんカット。
40目前のオバサンが、ロングソバージュ。
40目前のオバサンが、セミロングシャギー。
40目前のオバサンが、ふわゆる巻き髪斜め前髪。

もしもそういう人がいたら「おそろしくおかしい」と思えるはずなのに、自分がそういうおかしい姿をしているということには、全く気が付かなかった。

......。

若い時は思っていたんですよ。
いつまでもこんな長い髪を継続できるものではない。
たぶん結婚したら切るだろう。子供でも出来たら切るだろう。たぶん...。

人生にメリもハリもなくダラダラと生きるズボラな私は、髪型を変えるチャンスをなくし、気が付いたら勘違いオバサンの道をしっかりと歩んでいた...。

しかし今さら何が出来るというのだろう。
人里離れた山奥でよかったかもしれない。
  
posted by Heshbonit at 19:00| about me | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。