2008年12月25日

良きサマリア人

先月26日、インドのムンバイで同時テロがありました。
超高級ホテルが襲撃占拠され、同時に、ユダヤ教施設も被害に遭い、管理者であるラビ(ユダヤ教宗教者)の夫婦とその場に居合わせた人計6人がテロリストに射殺されるという惨事に。

ところが、その管理者夫婦の子供モィシ(2歳)は、家政婦兼ベビーシッターのインド人女性サンドラとともに緊急脱出。
襲撃があったのは夜。銃撃音を聞いたサンドラは台所の戸棚に隠れていたそうですが、一夜明けた翌日、モィシが彼女の名を呼んだ瞬間、「脱出せねば!」と決心。
子供を抱いて裏口から飛び出てきたところ、施設を包囲していた警察や軍に保護された、と。

モィシの両親は殺害されたため、イスラエル在住の祖父母(母方)が子供を引き取ることになり、事件後すぐにイスラエルに。
ベビーシッターのサンドラも一緒にイスラエルに来ました。
モィシが生まれたのはインド。血が繋がっているとはいえ祖父母には全く馴れておらず、彼女以外に子供をケアできる人がいないから、と。

この話を聞いてすぐに思い出したのがこの言葉。

『良きサマリア人(Good Samaritan)』

「役職や社会的立場よりも、本当に成すべき事をする人こそ正しい」

現代社会では、「助けましょう」という有難い話のその先に、さらに話が広がった形で法令化された名前(Good Samaritan Law/Good Samaritan doctrine )が有名です。
これは、「緊急事態においては人を助けるべき。但し、その結果が悪かったとしても、それが善意であった場合は、過失を問わない」・・・と解釈されています。

「良きサマリア人」という言葉の出典は新約聖書ですが(私は仏教徒ですからキリスト教の教義はよく分かりませんが・・・)、ユダヤ教にも同様の言葉があり、現在のイスラエルの国の法律にもあります。

『隣人の血の傍らに立っていてはならぬ法(1998年9月立法)』

別にウケを狙って訳したのではなく、本当にイスラエルの法律のタイトルがこうなんです。ヘブライ語ってホントに・・・。
これは、「隣人の血が流れている(=生命が危険状態にある)時にボケーっと突っ立っていてはいけません」という逸話があり、それをそのまま法律の名前にした、と。
イスラエルにおけるこの法律も、それをさらに拡大解釈し、「・・・万が一それで失敗しても本人は良かれと思ってやったのだから責めないこと」と続きます。
つまり、「助けるだけの能力があるにも関わらず助けなかった場合は罪として問われるが、万が一それが失敗しても罪は問われない」と定められています。

日本では「緊急事務管理法」というらしい。明確な立法ではないようですが。
まぁでも、どこまでそれが実践できるかは難しいですよね。
少し前に、日本の産婦人科医が難しい手術に失敗したために訴えられたことがありました。結局、そうなった時に訴えられるのが怖いから、「救急車たらいまわし」という現実がある。

あ、また別の話になりそうなので戻しますが。

名前からすると、シッターのサンドラはキリスト教徒でしょうか。CNNなどのインタビューにも答えていますが、かなりきちんとした英語を話す女性です。
まぁ、宗教に関わらず、マトモな環境で生まれ育った人間であれば、同じ状況下になったら「子供が泣き出さないうちに引っつかんで外に逃げよう」という行動を取ると思います。

しかし、「両親が殺害された上、誰も知らないイスラエルに戻ったら子供がかわいそうだから」と、自分にも家族がいるだろうに、インドから子供と一緒に未知のイスラエルに来たサンドラ。ここが偉いと思うんですよね。
助けるだけなら咄嗟の判断で出来たかもしれない(彼女自身もインタビューで「何も考えていなかった」と答えています)。しかし、子供のためにわざわざイスラエルに来るなんて、そうそう出来ることじゃないです。
2歳のモィシがイスラエルに馴れ、自分の立場をある程度理解するまで、少なくとも2年はかかるでしょう。
これこそが、逸話に出てくるサマリア人的行動ではないでしょうか。

状況が状況なので、内務省も簡単に滞在許可を出しています。
内務省は宗教者が多いですから。

という、たまにはインド・イスラエル絡みでもイイお話でした。

・・・試験期間中に書こうと思っていた話です。
もうちょっとちゃんとまとめられるはずだったのですが、旬が終わってしまったために、あまり意味をなさない雑多な記事になってしまった。
posted by Heshbonit at 22:00| イ国の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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