2007年12月31日

2007年終了

出勤。

この国には、御用納めも大晦日も正月も三が日もありません。
もう全く普通に当たり前のように働きます。

今日は、現預金や小切手などの年末監査があり、監査法人から担当会計士が来ました。そのため、昨日は工場のムッチャクチャな勘定をどうにかするのに、半日以上、ってかほぼ1日費やしたりもして。
あ、現預金小切手勘定だから、別に問題もなかったですけどね。
もう、監査。そして決算。そしてまた1年が経過する。早いですよね。
まぁ、これでもそうやって、一生懸命働いております。

一生懸命働いても、そうじゃなくても、給料は同じ。
一生懸命働かない人が、クビになるわけじゃない。
出来ない人を手伝ってあげなさい、と、アクセル全開の私に、仕事がどんどん舞い込む。かといって、一番下っ端だし、存在を認めない人も多い。風はいつも、真正面から吹きつけている。

それでも働いているのは、経理屋の意地、そして日本人の意地。
はかないプライドに掛けて、「分からない・出来ない」とは言えない意地。
ま、日本のレベルにしたら、すごーく生温いですけれど、それなりに。

でもねー。
ストレスっていうほどのストレスもないし、自分で好きなように仕事ができるし、誰にも頭を下げなくて言いし、通勤時間もかからないし、昼には家に帰ってこられるし、フレックスだし、こんなラクな職場、どこを探してもないし。

仕事取ったら、というよりも、経理を取ったら、何にも残んないからさ。

来年は、もう少しがんばります。
ってか、経理屋、今から決算までの「2007年13月〜14月」に本領発揮です。
がんばらなかったら、何の足しにもなりませぬ。
それに加えて、もっといろんなことがんばります。


今年1年、ブログに来てくださった皆様、暖かいコメントを下さった皆様、本当にありがとうございました。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。


BlogPetの今日のテーマ :
年越しの瞬間は? あなたは何処で何をしますか?

いつもどおり、家で寝てます。明日も仕事だし。
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2007年12月29日

生だね、生

休日。

思い立って、アッコーのアRブ旧市街の市場まで魚を買いに。
年明けの北部僻地地区新年会(御馴染み3人衆)には、魚が不可欠。
安息日の朝は道路がガラガラだから、1時間15分ほどで着きます。
が、それにしても、海が遠い・・・。

目的は、魚だけ。いつも買う魚屋は決まってます。
以前も買った、サバだかカツオだか分からない魚を選んでいると、兄さんが、
「ジャパニ? ディス・イズ・ツナ。ユー・メイク・スシ、ノープレブレム」。
違う、絶対にこれはツナじゃない。でも面倒だからウンウンと頷いておく。
で、そのサバガツオと、アジを購入。

だがしかし、予想の倍額・・・。
しつこくしつこく言って、某姫のように忍法上目遣いが出来たらいいのですが、「ブサイク帰れ」と言われそうなのでやめました、知ってる限りのアRビックも並べてみたりして愛嬌を振る舞い、ちょっとだけ勉強させたけれど、それにしても、どうもボッタクリっぽい。
この店は前に何度も買っていて、そのたびに雰囲気が良かったし、何よりも、アッコー旧市街の市場ではボッタクリがない、と思っていたんだけれどなぁ・・・、と、値段よりも、アッコーのボッタクリにショックを受ける。むむむむむ・・・。
ええい、正月だ。ガタガタ言うな。

さて、帰宅。
アジは開きにして干そうかと思っていたけれど、思いのほか小さかったから、そのまま全部3枚下ろしに。
で、ふっと思い立って、皮を剥いで、醤油&ワサビで試食。

ウマ━━━(゚(゚∀(゚∀゚(☆∀☆)゚∀゚)∀゚)゚)━━━!!!

マジでおいしい。感動的な美味しさです。
今日の夕飯、アジのたたきに決定。

久しぶりに生魚だー!!
大根がないんだな、大根が。

そしてサバガツオ。これは3枚下ろしにして、冷凍に。

サバなのかカツオなのか・・・

果たしてサバだかカツオだか分からないけど、焼くとパサパサしてダメだけど、味噌煮や竜田揚げにはもってこいなのです。
で、こちらも、骨についた身を集めて、醤油&ワサビで試食。

ウマ━━━(゚(゚∀(゚∀゚(☆∀☆)゚∀゚)∀゚)゚)━━━!!!

さすが私は日本人。買ってきた魚、その場で生で試食。

でもちょっと、サバガツオは不安があったために、これ以上の生食はガマン。
とにかく驚くほど新鮮だし、99.999%は大丈夫だろうし、滅多にお腹を壊す人間ではないけれど、これがサバだったら寄生虫の心配があるわけでしょ。
「日本人、生魚を食べて中毒に。病院に運ばれる!」って記事が翌日の新聞に掲載されたら、かなり恥ずかしいので。

アッコー、最近は日本人客が多いのだろうか。
年に数回は行くけれど、今日はやたらと、「ジャパニ?」「コニチハ、ドモアリガト、ミテクダサイ」と声を掛けられた。初めてです。

あと、魚を買っていた時、穴が開くほどジーっと見られた。そんなに人をジロジロ見るのは失礼ですよ、っていうほど。
それから、地元民のヤンママ集団に呼び止められ、髪の毛を触られまくった。ジプシーがお金を掏るワケじゃないから、この土地でこうやって女性に囲まれても、身の危険はありません。
いつも髪を隠して生活している彼女達には、ここまで長い髪の毛は、ものすごい興味の対象なのでしょう。

午後、実家に電話したら、大阪に住む長兄が帰省してた。
兄妹仲は非常に良好です。特に長兄とは、即席漫才状態になります。
それにしても、正月だねぇ・・・。
フーテンのトラ娘、今年も帰国できませぬ。
posted by Heshbonit at 19:00| 食べよう食べよう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

忘れられぬ人達

よく、「男はいつまでも憶えているが、女はすぐにスイッチを切り替える」なんていいます。ま、これは一般的には、恋愛関係のことらしいんですけれど、恋愛でも、それ以外のことでも、私は妙に憶えているほうです。

何に関しても記憶力がいい。
果たしてこれを「記憶力」というのか、「執念」というのかは別として、・・・あ、いちいち、別としなくても「執念」なのは明らかですが・・・、「あれー、そうだったけ?」なんて平気で言える、物事を忘れやすい常に前向きで過去をバッサリ捨てられる人が、うらやましく思うことがあります。

さて。
色恋沙汰は、思い出すような話はないし、苦手なので割愛。
ま、完結編の色恋沙汰よりも、未遂だった場合のほうが、一抹の寂寥感みたいのがあったりして、いつまでも記憶に残ったりするわけですよ。
そうだよね〜、姫? あれ、姫? 姫様?
ちっ、日本でカニ食ってやがる・・・。

とはいいつつも、某風呂にて、『Hesh坊は大変に利口だが,弱点は経験値が低いことである』と、会ったこともなければしゃべったこともないN兄に、ズッパリ指摘されちまった以上、もう身も蓋も取っ手も鍋底もありゃしねぇや。
ええおっしゃるとおり。隠すことはな〜んにもございませぬ。

そりゃ、大学名だけでもネーチャン達が砂鉄並みにゾロゾロ付いてきて、「何はなくとも、オンナには困らない」というバブル全盛期を謳歌した百戦錬磨のN兄とは、もう根本的なところからじぇんじぇん違うからさ。
悪いけどアタシ、昔から堅気一筋だもん。
「100のLikeより1つのLove。byミッチー」みたいな。(・・・はっ?)
ってか、その「1つのLove」を探すのだって大変なんだから、N兄がどうやって経験値を高めたのか、伝説の勇者ロトの血を引くN兄の魔性のオトコっぷりを、じ〜〜〜〜〜っくりと聞いてやろうじゃねぇか。

あら、1滴も飲まないのに、やさぐれちゃった。


・・・ということで、いい加減、本題に入ります。
今日はちゃんとしたことを書こうと思ってたのに。


先日、懐かしい女性が夢に出てきた。
添乗員の時、初めて海外添乗したオーストラリアのガイドさん。年齢は私よりも8歳上で、笑顔が素敵で落ち着いた雰囲気で上品な人だった。
ツアー中の朝、ガイドである彼女がホテルに来た瞬間から、妙に意気投合して、観光地でお客様がお土産を選んでいるような短い時間にも、昼食の時にも、なぜか「昔から友達だったよね」っていう感じで話が進み、その日は「自由夕食」だったから、夕食も一緒にして延々と話をしたほど。
その時は、ま、ツアー添乗なんだからとりあえずそれで別れたけれど、
「Heshちゃん、こっちで一緒に働かない?」って言われて、ものすごーく心が揺らぎ、私もオージーに行って、現地旅行会社に入ろうかと真剣に考えたほどでした。
夢に出てきただけでも懐かしかった。今、どうしているんだろう。

記憶に残っている人といえば、忘れられない人がいる。
以前にも書きましたが、生まれて初めて旅行した国で知り合った、現地ガイドをしていた日本人女性。
彼女とは、それから数年後、私がその国に住んでいた時もお世話になり、帰国後も彼女を訪ねてその国に行ったりもし、彼女が日本に一時帰国した時にも会ったりして、頻繁に連絡を取っていました。
私がイ国に来てから、連絡が途絶えてしまいましたが...。
とにかく、私の人生に強烈なインパクトを与えた人であることは間違いない。こういう世界に足を踏み入れる大きなキッカケとなった人ですから。
強さと女性らしさを兼ね備えた、女が惚れてしまうカッコイイ女性。
もちろん、今でも彼女のようになりたいと目指しています。
あ、外見は絶対にムリだけど。彼女はマジでカッコヨイ。


イ国に来てから、出会いの数は本当に少ないです。
が、コチラに何度も登場する、在留邦人のX氏にしてもY氏にしても、日本で普通に生活していたらまず会うことが出来ない、非常に稀有な存在です。
さすがこんな辺境な地に生きている男だけあります。
特にX氏、ちょっとこういう人は、どこを探してもいません。
ま、Y氏も、X氏とは別の意味で、どこを探してもいないですが。

それと、5年前、大使館関係の某役職の方とお話する機会がありましたが、その地位を全く感じさせない気さくで素晴らしい方で、「是非ともまた話を聞かせていただきたい」と強く感じた方でした。


私は、人に影響を及ぼすような才能も能力もオーラを持ち合わせてもいないし、そういう人に憧れても、自分がそうなりたいと思ったことは1度もありません。
ただ、素晴らしい人達に会って、どんどん学んで、どんどん吸収していきたい、といつもひたすら願うのであります。
来年の抱負には、それを1つ追加します。
posted by Heshbonit at 22:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

今年の反省

もう1年もおしまいに近いんですね。
日常は西暦でも、祝日に別の暦を使っているこの国では、年末っぽい情緒なんてちーともありません。大晦日も元日もずーっと働きます。

今年の初めに、こんなことを書いたんですよね。

@顎関節症を治す。
A勉強する(昨年は1月に試験が終わってから何もしていない)
B健康を保つ。体重も保つ。肌の老化と白髪防止も頑張る
C人との交流を深める(引きこもらないように・・・)
D人様のお役に立てる人間になる


じゃ、どれだけ達成できているか、検証してみます。

@顎関節症
完治はしていませんが、かなりラクになりました。
しかし最早、マウスピースなしでは眠れなくなってしまいました。
たぶん最期の最期までマウスピースしてそうな気がします。

A勉強・・・
7月に悩んで悩んで面接に通って申し込んだコースが1回で中止になり、相当ムっとしておりましたが、ようやく駆け込みで12月から別のコースを開始。
とりあえず少しは前進したとしましょう。

B健康面
体重は保ちたかったけれど2キロ増。でもジーンズがきつくて履けなくなったわけじゃないから、ムリに痩せようとはせずにこれをキープしようってつもりです。ってかもう、何をしても落ちそうにないから諦めました。
なんか全体的に、地すべりが開始しているのを感じるけふこのごろ・・・。

肌の老化はもうどうしようもありません。肌年齢は還暦です。

髪年齢はたぶん、まだ20代ギリギリかな、と。「37歳になるっていうのにその髪と髪型は何なの?」っていう異論反論は置いといて。
白髪は今のところ確認されておりません。あ、自分じゃ見えないところは分かんないけど、表面的にはないです。でも来年あたり、一気にきそう・・・。

C人との交流
これはマズいよね。ホントにマズイよね。
日本人に限定すると、今年1年、数えるほどしか話をしてないです。
んーと、毎週末に母親に電話するのはともかくとして、5月にいつはくさんのツアーが来てくれた時と、あとまぁ、在留邦人のX&Y氏とたまに話をする、それだけ。

別に仕事が忙しいってわけじゃないし、全然ヒマなんです。まぁ、周りを見回しても、半径25km以内に日本人2人(X&Y両氏)しかいなくて、それ以上、輪が広がる可能性はないからしょうがないんですけど、1年を通して友達が1人も増えなかった、って我ながらスゴイ。
断言するけど、私と付き合っても利点はないから、仕方ないけど。

田舎という環境ももちろんながら、イ国の邦人社会が他の国とは違う性質だからとも言えるけれど、何よりも、人間としての魅力がない自分のせいです。
それにしてもねー、これってなんだろ・・・。

そのワリには、ヘブ語も上達しません。当然。誰とも話をしないもん。
いいんです。上達させようとは思ってないから(開き直り)。

それでもなんとか生きているのは、ブログに来てくださる皆さんが、ガッチリと全方向から支えて下さっているおかげです。本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願いいたします。

D人様のお役に立つ
立ってる。これはもう絶対に立ってる。立ってるっつの。
「お前は何の役にも立ってない」とは言わせない。
なんか仕事量がどんどん増えてるし。
給料が全く上がんないけど黙って仕事しているし。
こんなに安くて便利な外国人労働者はいないって。


というわけで。
2006年にあまりにもいろんなことがあったせいか、今年は振り返っても何もないです。ま、この年齢になって、いろんなことがガチャガチャあるっていうほうが不思議なのかもしれません。

来年は・・・、この抱負を全て継続します。
posted by Heshbonit at 20:00| about me | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

フレックス制

出勤。

先輩部員は休みで、資金担当は朝からいない。
私が来た時には原価担当がいたはずが、途中で消えた。

と、こんな状況で、8時過ぎに、会計士が来た。
あれ、今日来る日だったかなぁ・・・なんて思っていると、横に知らない女性が。彼女の事務所に勤務する社会保険のエキスパートだそうで。
「社会保険関係の内部監査をする」と。

あの、何にも聞いていないです。
給料計算や社保関係は資金担当が兼任していて、彼女の部屋のカギは、本人か先輩部員の2人しか持っていない。先輩部員は休暇で娘さんの所に行っている。
資金担当は、携帯で電話しても繋がらず・・・。
1時間半後に来ましたけれど。「美容院の予約入れてたのよ。なんで今日いきなり来るってことだったの? え、原価担当に言ってあった?」
ま、いいんですけどね。

別に「いい加減な職場」ってわけじゃないんですが、それぞれが個人の責任を持って仕事をしているために、こういうことが起きます。
私と先輩部員は同じ部屋で働いているだけに、「明日はちょっと遅刻する」とか「来週休む」とか、いちいち言い合っていますが、他の人に関しては知らないです。
「部屋が閉まっていればいない。何時来るか? 私は関与してない。用があるならメモでも残しておけば?」っていう感じ。

簿記コースに、近隣の村の工場で経理部勤務の女性がいて、「通り道だから」ってことで、帰りは彼女の村に送っているんですが(行きは町から工場に働きに来ている人の車で来るらしい)、彼女と「ソッチの仕事はどう?」なんて話をしていると、どうも私の職場ってのは強烈に生温い様子。

彼女は、5時ギリギリまで働いて、いつも10分遅刻。
私は、学校がある日は3時半頃には退出して(勉強していることは職場の人には言ってないけど)、家でちょっと用を済ましたりしてから、余裕で通学。

経理部で超フレックス制ってのも、珍しいですよね。

これを生温いというのか、個人個人の責任に任されているというのかどうか分かりませんが、前に書いたけれど、私の仕事をいちいちチェックする人はいないし、3年目となった今では、いちいち言われなくても勝手に仕事をしているし、なんともまぁ面白い。

あまりにも面白すぎて、足を洗おうなんて考えない状態。
給料は信じられないくらい強烈に安く、これなら働いても働かなくても同じじゃないか?って思うこともあるけど、でも他の村や職場の人の話を聞いていると、「こんなに生温いならしょうがないか」ってな気にもなります。


というわけで、先輩部員がいないだけに、会計士にアレヤコレヤと用を頼まれ、それなりに動きがあった楽しい1日でした。


・‥………BlogPet ♪今日のテーマ♪ ………‥・

今年の冬は田舎に帰りますか??



こ、これ以上、どの田舎に行けと・・・?

えーと。
経理屋ですので、12月下旬から2月末まではどこにも行かれません。
あと、今住んでるのはドドドドド田舎ですが、実家は田舎じゃないです。
posted by Heshbonit at 19:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

連絡事項

今日は、裏風呂で暴れたり、メール返信やらなんやらで、
アップするつもりがなかったのですが、
連絡事項がありましたので、一言。

MSNブログの皆さん、なぜかログインできません。
訪問できなくてごめんなさい。


posted by Heshbonit at 19:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

ふたつのベツレヘム

イスラエルは、イエス・キリストが生きた国ではありますが、当時も今もユダヤ人が大半ですから、クリスマスとは無縁。アラブ系キリスト教徒やロシア移民(ユダヤ人と偽って入ってきた人達)、また最近では外国カブレでクリスマスごっこをする若い世代もいますが、町を歩いていても、クリスマスっぽさは一切ありません。

ついでに言えば、クリスマストリコロール(赤・緑・白)は、アラブ諸国の国旗の色に似ているため、イスラエル人(ユダヤ人)には非常に敬遠されます。
私自身もキリスト教徒じゃないし、元々、クリスマスには何の思い入れも思い出もないし、今日も明日も、ノホホンとした普通の平日。

そんな無関係な私にも、日本の親戚からプレゼントが届きました。
「クリスマスに付くように」と送ってくれた、と。カレー&ハヤシライスのルーに、乾物etcに、レッサーパンダのぬいぐるみ。わーい!!


じゃ、ちょっとクリスマスにちなんだ話でも。

イエスが生まれたのは、エルサレムから南に8Kmのベツレヘム(ヘブ語:ベイト・レヘム)という町。
イエスの母・マリアは、生まれ育ったイスラエル北部のナザレで懐妊し、臨月の時、戸籍登録のために遠いベツレヘムまで夫のヨセフと歩いて行って、その途上で産んだ、というのが通説。なんでも、ヨセフかマリアのどちらかがベツレヘム出身で、戸籍登録は生まれた市区町村でなければ認められなかったからだとか何とか。
ナザレ〜ベツレヘム間はおよそ140kmくらい。徒歩。大変ですね。

生まれたのはベツレヘムの馬小屋、というのは間違いで、単なる洞穴、せいぜい日乾レンガを積んだ程度の小屋だっただろう、っていうのが現代における正しい考古学的解釈。少なくとも馬がいるわけがない。
当時、馬というのは非常に貴重な乗物で、主に支配者が乗る軍事馬(チャリオットを牽く馬)が主流だったから、一般人の民家や宿屋に馬がいるわけがない。

さて、イスラエルには、もうひとつ、「ベツレヘム」という地名があります。
ナザレから約9kmの町、「Bethlehem of the galilee(ヘブ語:ベイトレヘム・ハガリリット)」

20161218ntz.jpg

実は、「このガリリー(ガリラヤ)のベツレヘムこそが、イエスが生まれた本当のベツレヘムじゃないのか?」という説があります。

現在のように、町や市などの行政区画整理がきちんとされていたわけではないし、必ずしも現在のナザレの規模が当時のナザレと完全に同じであるとは断定できない。
つまり、ナザレから9km離れたガリラヤのベツレヘムも「ナザレの一部」と見なされていて、そこでヨセフとマリアが暮らしていて産んだ、と考えた方が自然ではないか、と。

普通で考えても、わざわざ身重で戸籍登録には行かない。産んでから皆で行く方が自然で、その途上で生まれるということ自体があまりにも不自然なのです。
昔の出産は命懸けです。しかも初産。ユダヤ人が出産を疎かにするわけがありません。家族親戚が全員で「生まれてから行け」と止めたでしょうし、もし行くとしたら若いヨセフとマリアだけではなく、出産経験のある親戚の伯母さんなどが同行していたはずでしょう。
それこそ、どちらかがエルサレムに近いベツレヘム出身だとしたら、なぜ100km以上も離れたナザレに住んでいたのか? 当時は今と違ってそんなに簡単に引越しできるものではないのに。
これがナザレから9kmのベツレヘムなら、理屈が合います。
「ガリラヤのベツレヘム」にも、当時の集落跡やシナゴーク址もあるし、ローマ時代の教会址などがあり、この仮説を全く否定することはできません。

また、「ベツレヘム(ベイトレヘム)」という地名も、ヘブ語では「パンの家」という意味で、特別な名前とは言えない。
その昔、ギリシャやローマが統治する前のイスラエルは、地方豪族がそれぞれの土地を王国として統治しており、エルサレムがある地域が「ユダ王国」、ナザレがある地域は「ゼブルン王国」でした。そう、国が違ったのだから、同じ名前の町があってもおかしくありません。
日本でも、『横浜』といえば神奈川の横浜ですが、青森県にも『横浜町』という地名がある。『川崎』なんていったら、かなりの県に同音同字の町名が存在します。
士師記に登場するイブツァンという士師(イスラエルを治める指導者的存在)も、このゼブルン王国ベツレヘム出身だと解釈されており、歴史的に脚光を浴びたことのない無名な土地というわけでもないのです。
ちなみに、「ベイト」がつく地名は他にもあり、特別な意味がある場所に付ける名でもなんでもありません。


ではなぜそんなに、エルサレムとベツレヘムにこだわるのか?
旧約聖書には、【イスラエルを救う救世主は、ダビデの血統を引く者で、ユダ王国に出現する】と書かれています。
ユダ王国の首都はエルサレム。
ダビデは紀元前10世紀の古代イスラエル王国の2代目王で、エルサレム近郊のベツレヘム生まれ。イエスが生まれる1000年ほど前の人です。

つまり、聖書に書かれている預言によれば、【救世主は、エルサレムを首都としたユダ王国生まれ】であることが絶対条件であり、歴史的背景からしても、【英雄ダビデ王の出身地であるベツレヘム生まれであることが非常に望ましい】のです。

では、ナザレ近郊ベツレヘムから歴史的物証が出たら、歴史が変わるんですか?

それはまず、絶対にならない。バチカンが認めない。世界がひっくり返る。

「イエスが生まれたのは、旧ユダ王国のベツレヘムではなく、旧ゼブルン王国のナザレの近くのベツレヘムだったんですよ」ということが分かったら、大変です。

「え? それならイエスは、救世主じゃな...?」

この仮説を立てたのが、イスラエルの考古学者が発端であるため、「イエスが救世主ではないと言うためのコジツケだ」とされて、キリスト教側には、あまりイイ顔をされないようですが。
ま、ちょっと「そういう説もあるんだ」ってな話として。 

ナザレは現在、アラブ系クリスチャン(多くがカソリック)とイスラム教徒が混在する旧ナザレと、そこから少し離れた新興開発のナツァレット・イリット(ユダヤ系居住地)があります。
こんな古くからの病院もあり、なかなか楽しい街です。 
  
           
posted by Heshbonit at 20:00| イ国情緒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

ソロゴリ

子供の時、何の習い事をしていましたか?

私、小学校1年の時に習字を始め、小学校3年で珠算を始めました。
習字は小6まで、珠算は小5まで続けました。

が、どちらもホントに大っ嫌いだった。
習い始めのキッカケは、自分の意思じゃなく、親が「読み書きソロバンはやっておいたほうがいい」ということでやらされただけだったし。

文字を書くのは嫌いじゃない。硬筆は、上手い部類じゃないけれど、人前で書くのが恥ずかしいっていうほどではなく、そこそこ人並みっていうレベルだった。
あ、今はもうダメ。ヘブ語はともかく、日本語は全然書けないです。

でも、習字っていうのは、文字ってよか、「芸術」のエリアでしょ。
筆運びっていうの、あれが出来ない。頭の中では文字のイメージがあっても、筆になると出来ない。いくらやっても、思うようには描けないのです。
習字教室は近所の公団住宅の一室で、まぁ、遊びに行っていたようなもの。今考えると、先生は私のことを、もてあましていたような気がします。母には「行っている」ということにして、1ヶ月サボったりもしました。

珠算は・・・。
近所の神社の中にある、強烈にスパルタな珠算塾。
出来ない生徒に対する体罰なんて当たり前で、8時頃まで残されたりもする。、今の常識では考えられないような塾。

ソロゴリってのは、いくつかあった体罰の1つ。

「頭を、ソロバンでゴリっと擦る」

痛いよ〜。髪の毛がソロバンに絡まるし。

それでも通った。最終的には三級を終えて、準二級でストップ。
ってか、もうそれ以上やりたくなくて。
体罰を受けるのがイヤだったわけじゃない。体罰に関しては、そんなもんだと思っていた。親は、「殴られないように練習しなさい」っていう考えだったし。
あ、誤解のないように。Mっ気は全くないです。どっちか選べって言われたら、何の迷いもなく鞭を取ります。(一体、何の話ですか?)
そうじゃなく(笑)、珠算が自分に合っていないことが苦痛だったから。
暗算だって、最早きれいに忘れてしまった。二桁ですら怪しい。

その後、計算実務っていう検定は、専門学校で1級まで取りました(電卓使用)。
計算は嫌いじゃないんです。電卓は左右どちらでも鬼の速さ。
つまりただ単に、「珠算」というツールがイヤだったんです。

その後、中学に入ってから、米軍ベースの近くにある英会話教室に通ったりもしましたが、まぁ、こっちは完全に遊びでしたね。何の糧にもなってない。


今日、簿記教室でも、「なんで外国人がこんなところで簿記を・・・」って聞かれました。くどくどと説明するまでもありません。

「私にはそれしかできないから」

簿記をやるようになったのは、前にも書きましたが、高校時代に思いつきで。
でも結局、これが一番合っているみたい。
ってかもう、頭の中が、すべてのものを「借方・貸方」で理解をする構造になってしまった私が、簿記を離れることは不可能なのです。

どういう分野にも言えると思うんですが、自分の中でモノを理解するための「基本的な何か」が確立されると、全てそれで考えるんじゃないだろうか。
例えば、芸術的センスがある人だと一般事務をしてもその感覚が反映されるし、理系の人は物事を理論的に組み立てて考えるし、接客サービスで鍛えた人はどこに行っても気配りが上手...、というような。
つまり、この私から経理を抜いたら、何も残らない。
それすなわち、「考えるな」って言うようなもの。

ただし、簿記の試験っていうのは、経理実務とはこれまた全く別なんですけれど、パズルを解くようなものです。こうして通っているのは、私にとっては、「言語」というよりも「暗号」でしかないヘブ語で、簿記というパズルを解く方法を習う、ってな気持ち。
そう、習い事感覚。資格取得の勉強!っていう気持ちは非常に薄い。

懐かしいな、珠算塾。
先生は引退しただろうけど、まだ神社でやってるんだろうか。
posted by Heshbonit at 23:00| ノスタルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月22日

プカーク

午前中、なんとなくダラダラ過ごし、午後はちょっとドライブがてらC市のショッピングセンターまで行って、買物して帰ってきました。


今日のヘブ語:「プカーク」

意味:栓、その他詰め物。渋滞。帳尻あわせなど。

私が住むエリアに、こんな橋があります。

ゲシェル・ハプカーク

なんか強烈に田舎っぽくて、いい感じでしょ。
下を流れているのはヨルダン川。
この橋の名前が、「プカーク」

渡る時は、こんな感じ。

すっごい渡り難い橋です。橋の板がガンガン鳴ってうるさいし

渡しが板で出来ています。
もちろん、車幅1台分だけだから、優先順位に従って譲り合います。
・・・が、基本的精神は譲り合いで、橋に入る前に優先順位が書いてあるっていうのに、標識を見ないでいきなり突っ込んでくる車も多いし、さらにこの橋に入る前にカーブになっているため、間近まで来ないと対向車が分からないという、強烈な橋なのです。
そして通るたびに板がガンガンうるさいし。
見た目はなんかイイ感じだけれど、実用価値がなんとも・・・。
日本だったら絶対に有り得ず、行政にガンガン文句が行きそうな橋。

というのも。

その昔、イ国が戦闘状態だった頃は、軍事上に非常に重要な橋でした。
非常時(もし敵国が攻めて来て、こっち側に来ようものなら)、この橋板を外してしまえば、戦車がこのヨルダン川を渡ることが出来ない、と。
つまり、この橋が「栓」の役割をしていたというわけ。

あまりにも古いし、いろいろ危険だし、もうそういう時代じゃないので、ようやくかけ直すことになりました。今度はちゃんとした橋になるらしい(ウワサ)。

これからしばらく、家からC市に行く時など、つまり南に下る時は、この橋がある旧道ではなく、少々遠回りですが一般道を通ることになります。

工事期間がどのくらいかかるのか、不明です。
イスラエルの道路工事、気が遠くなるほどかかるから・・・。
って、第一、「この橋を普通の橋にしよう」っていうのは、もう20年以上前、つまり大きな戦争が終わって、「もう必要がないだろう」ということを皆が認識したころから、ずーっと国に申請していたっていうくらいだし。


ともかく、イ国も平和になりました。
  
posted by Heshbonit at 19:00| イ国の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

長生き

私のホストマザー的存在のサラレの伯母さんが他界されまして、今日の午前中、葬儀がありました。
ユダヤ教では、シャバット(安息日)に入ってしまうと葬儀が出来ませんが、それまでなら可能です。

以前にも書きましたが、他界したらその日のうちに土葬することもあります。今回は、親戚が集まるのを待つために1日置いての葬儀でした。

サラレの伯母さん、あと1週間で103歳でした。
以前、その経緯に関しては書きました。あ、前のブログでしたね。

「彼女の母親ならともかく、叔母さんはね。この村に住んでいたわけじゃないし・・・」ということからか、村の中からでも参列する人は少なく、驚くほど少人数でヒッソリしたお弔いでした。
ま、100歳越えたら、友達だっていないですよね。

とはいえ、幼い時に母親を亡くしたサラレにとっては、叔母さんが母親代わりで、それだけに慕い続けた、彼女にとって大切な人でした。
・・・なんてことを知っている人は数えるほどですけれど。

それにしても・・・、戸外の葬儀は寒い。

先日、NHKスペシャルの長寿に関する番組をこっちの教育TVみたいな局で放送していました(ヘブ語字幕)。

元気で長生きできればそれに越したことはないのですが・・・。

サラレの叔母さんも、97歳まではとっても達者で、1人でどこでも行き、何でも出来たらしい。それがふとしたことから急に衰えてしまい、本人も少しウツ状態になってしまった、と。
それでもどこも悪い所がなく、常用する薬もなく、老人ホームの中では、一番手がかからなかったとか。

村のもう1人の高齢者。こちらは、前職の村の事務長のお母さん。確か97歳だったかな。1人暮らしをしていて達者。1日中家にいるのにキレイにお化粧をし、アクセサリーやマニキュアをしている、凛とした女性だ。
経理の仕事になってからは、彼女の家に行くこともなくなったけれど、なぜか私を可愛がってくれて、私のボスがちょっとした用で行くと、「Heshbonitに渡して」とチョコレートをくれたりする。

長生きも、難しいです。
家族に愛されているかどうか、というのが一番のポイントになる気がします。


備忘記録:
今日の栗ご飯は最高の出来でした。もう、栗が絶品。
こんなにいい栗、有り得ない。すごく安かったし。
posted by Heshbonit at 20:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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